裸の女子生徒を涙を流して抱きしめる、スクールセクハラの実態【体罰とセットのケースも】

社会

公開日:2014/10/22

 教え導く存在であるはずの教師が、生徒に深い心の傷を負わせる事件が後を断たない。1990年度にわいせつ行為で懲戒免職になった公立小中高校の教師はわずか3人。ところが、過去最悪となった2012年度には、その40倍の119人に到達し、その後も高止まりが続いている。急に教師の質が落ちるはずはなく、見過ごされてきたのが厳しく処分されるようになっただけだろう。スクールセクハラは、一体どのような状況の元で起きるのだろうか。教育現場でなぜセクハラ被害は起きてしまうのか。

 『スクールセクハラ なぜ教師のわいせつ犯罪は繰り返されるのか』(幻冬舎)では、学校で繰り返される教師のわいせつ犯罪について10年以上も取材を続けている共同通信記者・池谷孝司氏がスクールセクハラの実態を明かしている。池谷はいくつかの例を引いて、生徒が魔の手に落ちていく過程を迫っているが、セクハラは体罰とともに起きる場合も少なくないらしい。たとえば、関西の私立中学校では、部活動がその舞台となった。伊藤早苗さん(仮名)は教師の原口達也(仮名)から熱心な勧誘を受け、剣道部に入部。原口は特に女子の指導に力を入れ、3年生の時に部を全国大会まで導いた。だが、その成果の裏には日常的な体罰があったようだ。原口は太鼓の太いバチで生徒たちを容赦なく殴った。カルト宗教のように部員を盲目的に従えるさまは、周囲から「原口教」と呼ばれていた。

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 中学2年生のある日、練習中に原口は早苗さんを原口専用の6畳程の控え室に呼んだ。早苗さんは大きなソファにどっかりと座る原口の前で床に正座した。原口は早苗さんを「言われた通りにできないのは、プライドが高いからや」と罵ると、「三回回ってワンをしろ」と彼女に命令したという。言葉の意味が分からず呆然としていると、原口は戸惑う早苗さんを無視し、その頃、同じ学年でライバルとして競っていた生徒を呼んだ。「ワン、やれ」。原口がそう怒鳴ると、その生徒は何のためらいもなく、その場でくるくると三回回って、「ワン」と口にしたという。早苗さんは、ライバルに負けた悔しさ、原口先生から叱られる恐怖が入り交じり、慌てた。ライバルの真似をするのでは「指示待ちの人間やな」と叱られる。早苗さんはその場を切り抜けるために、「プライドを捨てるために歌を歌います」といって、チューリップの歌を歌ったという。これが後に女子部員たちが「儀式」と呼ぶ奇妙なやりとりの始まりだった。

 1~2週間後、早苗さんは再び呼び出された。今度は「かえるのがっしょう」で切り抜けたが、さらにその次は許されなかった。「何でできないんや」。いつものやりとりを繰り返し、原口が言った。「先生の前で裸になりきれてないからや。先生を信用してすべても任せてないから、できないんや。」「信用しています。すべてを任せています。」「じゃ、服脱げるか。」「…脱げます。」早苗さんは恐怖から断ることもできず、セーラー服の胸元のホックを外したという。その後、何度も控え室に呼ばれ、入ると、中から鍵をかけるように言われた。服を脱ぐと、原口は、「気持ちはよく分かった。死ぬ気で頑張ろう。」と、下着姿の早苗さんを抱きしめて涙を流した。

 「試合に勝つには、先生と気持ちを合わせる必要がある」「そのためにプライドを捨て、心を裸にしなければならない」「だから下着姿になるのは当然だ。」原口の奇妙な三段論法を女子部員たちは拒むことができなかった。「儀式」は次第にエスカレートし、控え室で下着になるだけでは済まなくなり、性的関係を強要された。部活以外の時間も支配された。男女交際は絶対禁止。「素晴らしい生徒がくだらん連中と付き合うな」と牽制し、付き合っていることがばれた子は試合のメンバーから外され、さらには、「俺と男とどっちを取る」「先生だけが恋人や」と怒鳴り散らし、結局別れさせたそうだ。

 生徒にとって教師は絶対的な存在だ。教師から命令されたことに抗うことは不可能だ。池谷氏によれば、体罰もスクールセクハラも、生徒を思い通りにコントロールしたいという教師の歪んだ思いから生じるという。だが、教育現場には隠蔽体質がある。早苗さんは大学に入ってからようやく冷静になり、母親に被害を受けたことを告白。教育委員会に訴えたが、「何年も前のことを」「在学中に言ってくれれば」と言われ、誠意ある対応は見られなかった。結局、訴訟を起こし、教師は懲戒処分になったが、「全国大会まで生徒を導いてくれる先生に向かってなんてことをするのだ」と現実を知らない生徒の保護者から責められることも少なくなかったという。

 生徒たちは被害を訴えにくい現状のため、わいせつ教師たちは、のうのうと教師を続け、被害者はさらに増加している。スクールセクハラは「魂の殺人」と言われるほど、子どもの心に深い傷を負わせる。拒食症、過食症、そして、大人になってからもその記憶に悩まされる者も多い。悲惨な被害を未然に防ぐ環境の実現を目指すべきだろう。そして、日本の教育が子どもたちを支配し、教師の考え方を押し付けるものではなく、子どもの中にある力を伸ばすものとなることが望まれてやまない。

文=アサトーミナミ