480ページの力作!『ゴジラ』を生み出した本多猪四郎監督の作品と人生とは

映画

更新日:2014/11/21

 今からちょうど60年前、1954年11月3日に封切られた映画『ゴジラ』。この映画で世界初の「怪獣」であるゴジラを世に送り出したのが、本多猪四郎監督だ。日本での知名度は決して高いとはいえない本多監督だが、海外では多くの映画人から尊敬を集める人物であり、『タクシードライバー』のマーティン・スコセッシ監督は、本多監督の映画をフィルムで10本以上所有し、黒澤明監督の『夢』に出演した際、同作に演出補佐として関わっていた本多監督に「子供のころに見た『ゴジラ』の監督に会えて幸せです。記念写真を一緒に撮らせてください」と言ったという。

 こうしたエピソードを始めとして、本多監督へのインタビュー記事や資料、そして本多監督の妻や長男など関係者への直接インタビュー、台本に書かれた細かい演出メモなどまでを調べ上げた、480ページにも及ぶ労作『本多猪四郎 無冠の巨匠 MONSTER MASTER』(切通理作/洋泉社)が刊行された。内容は、とにかく濃い。溢れる思いと内容がみっちりと詰まり、その裏にある膨大な資料の存在を感じる行間に、読み手の方が息苦しくなりそうなほどだ。

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 本多監督はこれまで「脚本通りに撮っている堅実な職人だが、出来は良くも悪くも脚本次第」と言われてきたというが、この通説に切通氏は異を唱える。そこで本多作品を単体で見るのではなく、串刺しにして作品を見ることにより、本多作品はいったい何を訴えているのか、その本質を見抜く丁寧な検証作業がなされている。切通氏は「本多作品の実質は現実といきはぐれてしまった者(ときにそれは怪獣や怪人自身であったりする)の物語だ。どれも同じその反復である」と語っている。各作品についての論考を読み込むと、本多監督の遺した『ゴジラ』『マタンゴ』『ガス人間第一号』などを見たくなることだろう。

 最先端の科学に興味を持ち、記事のスクラップなどを欠かさなかったという本多監督。中でも興味深かったのは、8年近くも大日本帝国軍人として過ごしたという経歴だ。1936年に起きた青年将校らによるクーデター「2・26事件」を身近に体験するなど、軍人としての経験はその後の人生に大きな影響を及ぼしたと語る本多監督の言葉は、とても重い。

「“復讐と憎しみ”を背負い“何も知らない大勢の人々の命を奪う”もの。それが本多監督にとっての“怪獣”なのだ」「つまり怪獣とは人間の側からそう見られているのであって、もともとは自然の生命であるしかないもの。ゴジラにしても、動物的なナワバリ意識で戦うことはあっても、本多がその存在を正義だの悪だのと考えたことはない」と語る切通氏。本書は、物事は善か悪だけで答えは二択のみ、しかもその答えがマジョリティーに属していないと徹底的に叩かれるという余白のない息苦しい現代に「果たしてそうなのか?」と疑問を突きつけてくる。

 そして本多監督の人生と手がけた作品について書かれた『本多猪四郎 無冠の巨匠 MONSTER MASTER』は、日本の戦前から戦後の歴史を辿る物語でもある。本多監督はその時代を生き、そこから未来を見据えて物語を紡ぎ出し、脚本を練り、演出して、映像作品を世に送り出してきた。今も全く古びない作品と、本多監督の遺した言葉は、実は非常に危ういバランスの上で生きていたということに図らずも気付いてしまった現代に生きる我々への、過去からの痛烈な回答なのだ。

 本書を読むと、本多監督からのメッセージに今こそ耳を傾け、行動すべきだと感じることだろう。特撮ファンはもちろん、ゴジラは知っているが本多監督を知らない人、そしてこの先の未来を生きるすべての人に読んでもらいたい力作だ。

文=成田全(ナリタタモツ)