叩かれても事故っても「自撮りを見せたい!」 現代人が自撮りしまくるその理由

社会

公開日:2014/11/29

   

 SNSに溢れる“自撮り”写真。“自撮り棒”なる専用アイテムも人気で、ブームは過熱する一方だ。そんな中、2014年に入ってからはついに自撮りを原因とする死亡事故が相次いで発生した。最近もアメリカ森林局が「野生の熊との自撮りは危険」と注意を呼び掛けるなど、危険を冒してまで自撮りに熱中する人が、世界中で増えている様子がうかがえる。

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 日本で死亡事故は起きていないものの、たとえばアルバイト店員の不適切な写真投稿による炎上トラブルなどは、根を同じくするものと言えるかもしれない。こうした騒動を目にするたび、失うものの大きさになぜ思い至らないのか不思議に思う。社会的な立場や命を犠牲にしても惜しくないほどの吸引力が、自撮りにあるのか? そもそも、“謙虚”を美徳とするはずの日本で、注目を求める行為である自撮りがこれほど流行った背景には何があるのだろう? 自己愛に関する著書を数多く持つ心理学者・榎本博明氏に話を聞いた。

 ネット上で目立つチャンスを常に探している

 自己愛が強い人の特徴や行動パターンを分析した著書『病的に自分が好きな人』(幻冬舎)で、榎本氏は現代を「自己愛過剰社会」と表現している。その原因の一つが、安易に発信できる“道具”の発達だ。

 人は誰しも少なからず、注目されたい、認められたいという欲求を持っているが、昔は発信する権利を得るには努力が必要だった。本を書いたりテレビに出たりしたければ相応の実力を身につけ、他人の承認を得なければならない。インターネットの普及以降はその状況が一変し、誰もが発信力を持ったことはよく指摘されるが、同氏は「自撮りブームに直接寄与したのはスマホ、つまりデバイスの進化である」と考える。

「特に日本は、あからさまな自慢や自己主張を良しとしない文化。何かを自慢したい衝動に駆られても、パソコン時代なら帰宅するまでに冷静になって“みっともないからやめよう”と判断できましたが、スマホはいつでも衝動的に発信できてしまうため、冷静な判断を差し挟む間がありません。いわば“理性を通さない自己愛”がネット上に溢れ、人々がそれに慣らされて、自撮り公開への抵抗感も薄れたのが今の状況なのではないでしょうか」(榎本氏)。

 確かに、「皆がやってるから」という心理で自撮りを投稿している人は多そう。では、そもそも何のために? ヒントとなるのが、本書に登場する「自己呈示」という心理学用語だ。これは自分の見せ方を操作的に演出することを指す。自己愛の強い人は自己呈示のためのアイテムや行動パターンを求める傾向が強く、「できる人の魔法の習慣」「有能なビジネスパーソンの必須アイテム」「モテる男が選ぶ店」といったハウツー本や雑誌の特集タイトルは、その心理を狙ったものだという。

「自分の印象を演出するのは悪いことではありません。ただ私が懸念しているのは、ネット上の安易な自己呈示に熱中するあまり現実が疎かになること。多くの人にとって、仕事や勉強やスポーツで評価されるよりもネットで目立つ方が手軽です。“努力しないで注目されたい”という欲望を、自撮りをはじめネット上の発信で簡単に満たせるようになった結果、自分が目立つための“チャンス”を探すことに執着してしまい、客観的な視点や他者への配慮がなくなる人が増えていると感じます」

 まさに、野生の熊とのツーショットやツール・ド・フランスの走路での自撮りは、ネット上で目立つための絶好の“チャンス”なのかもしれない。そのチャンスを追い求め過ぎた結果が今、事故や炎上や迷惑行為という形で表れているのだろう。

 榎本氏は、日本でも自撮りが流行った背景としてもう一つ、自己主張することを是と教える最近のグローバル教育の影響を指摘する。「今は小中学校からディベートの授業が導入されています。日本人は本来、相手の気持ちや意向を汲み取る“配慮”のコミュニケーションを使ってきましたが、今後は欧米的な自己アピールのためのコミュニケーションが根付いていくのかもしれません。そうなったら自撮りもますます増えるでしょうね」。もちろん、自撮り行為そのものが悪いわけでは決してない。大切なのは、自分だけに関心を向け過ぎないことと、他者の視点を持つこと。この2点だろう。

 なお、日本流/欧米流コミュニケーションに関する考察は、同氏が今年6月に上梓した『ディベートが苦手、だから日本人はすごい』(朝日新聞出版)で詳しく知ることができる。特に第5章で解説される言語構造と心理構造のかかわりは、自己愛の問題を考える上でも要チェックだ。

取材・文=ハットリチサ