『絶対、最強の恋のうた』の番外編が読める! 中村航書き下ろし新作を無料公開

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2014/12/6


とある広場で“あの人”


今月の“あの人”は…『絶対、最強の恋のうた』

木戸(きど)さん

『絶対、最強の恋のうた』 中村 航 / 小学館

停滞した浪人生活を経て晴れて大学生になった僕と高校時代は弓道部だったクールな彼女。大学の文化祭で出会った僕らは新学期から付き合い始めた。それから2カ月、思いが加速し毎日会いたいだけ会っていた二人だったが、日常生活が疎かになることを恐れた彼女からSOSが発せられる。デートは週末に1回、電話は週3回という僕から提案したルールは功を奏し、お互い愛情を保ちながら緩やかな交際が続いた。そうした変化の中で増えていったのが同じ学科の坂本との時間だ。生真面目で奥手な彼から、地元で世話になった人として紹介されたのが木戸さんだった。――恋愛における大事な瞬間を“スタンプカード”のように一つずつ心に印していく二人。男女それぞれの視点でかけがえのない恋の時間を描いた瑞々しい青春小説。『僕の好きな人が、よく眠れますように』(角川文庫)では悩める主人公に恋愛指南する木戸さんが登場する。

番外編

その男の人生相談【第一話】中村 航


写真提供=Getty Images

 真夜中の半導体工場の二階、工場棟を抜けて、暗い渡り廊下を抜け、管理棟まで進むと、レトロで小さな食堂がある。深夜の二時から四時の間だけ開く、幻のような深夜食堂だ。

 昭和の何十年代かわからないけれど、まだこの工場が今ほど大きくなかったころ、そこは社員の喫茶室兼食堂だった。それから何十年かが経ち、工場は近代化し棟を増やし、立派な社員食堂もできた。いつからかそこは、工場の半分が電気を落とす深夜にだけ、開かれるようになった。

 昼の従業員は、この食堂の存在を知らないだろう。時代や時間といったものから取り残され、世間のニュースや、流行りや、季節とも全く無関係に、食堂は粛々と深夜営業を続ける。

「そろそろ行きますか?」

「そうだな」

 僕と大竹さんは喫煙所を出て、そこに向かった。僕らがその食堂に向かうのは、きまって深夜の三時を十分ほど過ぎたあたりだ。

 半導体を製造するラインは二十四時間動いていて、深夜には社員とバイトが何十人か働いている。休憩は半分ずつとるわけだが、一度に全員は食堂に入ない。だが無言のうちに流れる奇妙な秩序により、各々の胃袋はとどこおりなく満たされる。休憩時間が近付くとフライング気味に食堂に向かう者もいるし、クリーンスーツをゆっくりと脱いでから向かう者もいる。さらにのんびりと一服してから向かう、僕らのような者もいる。

「今日は……親子丼と煮魚っすか」

 食堂の前で、僕らは五秒、足を止めた。

 実在と非実在の狭間にあるような食堂のメニューは、いつも三種だ。食堂の入り口に掲げられたホワイトボードに、本日の定食と丼の種類が書いてある。今夜は親子丼と煮魚定食で、あとは毎日あるカレーライスだ。

「親子丼にするかな」

 思ったことをすぐ口にするタイプの大竹さんが、ぼそり、とつぶやきながら先に食堂に入っていった。席はちょうど二つ空いている。カレーでいいかな、と僕は思う。

 僕らはそれぞれの夜食を注文した。カレーが二百五十円で丼が三百円、定食が四百円で、頼めばどれも大盛りにしてくれる。お金の受け渡しも含めて十数秒で、年配の店主は僕らの夜食を準備してくれる。

「西山くんって、働きだして二ヶ月くらいだっけ?」

 席に着いた大竹さんが言った。

「ええ、そうですね。二ヶ月を過ぎたくらいですかね」

「ここで、まだ食べてないものって、あるでしょ?」

「んー、そうですね。結構ありますよ。イカ天丼とか」

 丼ものには親子丼、中華丼、イカ天丼、ハムステーキ丼があり、定食には唐揚げや煮魚やショウガ焼きや焼き魚や肉いためがあった。それらが日々、ローテーションされている。

「基本的に僕、カレーが多いですからね」

 工場の近辺には深夜営業のレストランやコンビニもないから、弁当を持ってくるのでなければ、ここで夜食をとるしかない。イカ天丼は食べない、と決めているが、それ以外は別に何でもよかった。

 ここは深夜バイトや社員の数十名を、賄い続けるためにある、小さなスペースだ。感動もないけど大きな落胆もない。きっとメニューもレシピも、何十年も前から変わっていないのだろう。

「おれさ、実は、ずーっと待ってたんだよ」

「何をですか?」

「西山くんがハムステーキ丼を食べるのを」

「ええっ!? ハムステーキ?」

 親子丼を食べていた大竹さんが、箸を止め、じっと僕の目を見た。

※リンク先のJT「ちょっと一服ひろば」は、満20歳以上のたばこを吸う方に向けたウェブサイトです。作品の他、たばこに関する情報が掲載されています。


なかむら・こう●1969年、岐阜県生まれ。エンジニアとして勤務したのち、2002年『リレキショ』で第39回文藝賞を受賞し、作家デビュー。04年『ぐるぐるまわるすべり台』で、第26 回野間文芸新人賞を受賞。著書に『100回泣くこと』『あのとき始まったことのすべて』『トリガール!』『デビクロくんの恋と魔法』(2014年映画化)、『小森谷くんが決めたこと』など多数。