社会正義か会社の利益か──思惑が交差する社会派ドラマ 『誤断』堂場瞬一

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/21

長原製薬広報部の若手社員・槙田高弘は、ある日副社長の安城から突然の特命を受け、札幌と大阪の駅で起きた線路への転落事件について調べることに。事故の裏には長原製薬が出している薬の影響があるかもしれない、というのだ。だとしたら早急に手を打たねばならない。しかし副社長が打った「手」は、公表や回収ではなく、「隠蔽」だった──。

事件はこれだけで終わらない。物語はさらに、長原製薬に起きた40年前の事件の存在とその再燃もほのめかす。被害者との折衝を任された槙田は、これでいいのかと迷い始める。人道的にも法的にも、隠蔽すべきことではない。しかし自分は長原製薬の社員だ。この槙田の葛藤が最大の読みどころ。秘密を抱えることに耐えきれなくなった槙田が、ある人物に漏らした一言「会社の利益と社会的利益が衝突したら、どうしたらいいんでしょうか」──本書のテーマはこれに尽きる。

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この問題は現実社会にも多く見受けられるし、今野敏『隠蔽捜査』(新潮社)や伊兼源太郎『事故調』(KADOKAWA)など同様のモチーフを扱った小説も多い。そんな中で著者が製薬会社というモチーフを選んだのは、人命という最大の被害が出ることももちろんだが、本書の結末のような落としどころが可能という理由もあったのではないか。その落としどころが何かは本書を読んで確かめられたいが、これだけは書いておこう。それは「どちらの正義を貫くか」よりももっと大事なことだ。なのになぜか現実の事件では最もないがしろにされていることだ。

そんな正義を一方的なきれいごととして描くのではなく、リアリティを持たせながら疾走感あふれる社会派エンタメに仕上げたのが本書である。交差する思惑、駆け引き。読みながらひりひりするような焦燥感に突き動かされる。加えて著者お得意の、食事や嗜好品をとる場面が随所に挟まれ、登場人物が単なる駒ではなく自分と同じ生活者であることを読者に思い出させる。しかも食べたらすぐに片づける槙田や、コーヒーにはこだわるのに食事はコンビニ弁当という弁護士など、食のシーンを通してその人物像が浮かび上がるのだ。このあたり、堂場瞬一は本当に巧い。

本書はことさらに正義を叫ばない。声高に理想を主張しない。登場人物は皆迷い、悩み、それぞれが決断する。社会の正義と会社の正義に加えて、自分の正義とは何かを見つめるのだ。製薬会社側だけでなく、ここに登場する人物は被害者たちも含めて皆、過去の自分の判断は間違っていたかもしれないという思いを抱えている。それを認めないことが、もしかしたら最大の「誤断」なのかもしれない。

文=大矢博子

『誤断』(堂場瞬一/中央公論新社)