自宅の芝刈りを要求…、東大教授が助手に対して行った「いじめ」とは?

社会

更新日:2014/12/18

 『東大助手物語』(中島義道/新潮社)は、現在60代で大学を退官した哲学者が、28年前の助手時代を振り返ったもの。本書には、上司である教授から受けたいじめの様子が、著者の感じたまま正直に告白されている。

 では、「大学でのいじめ」とは、どのようなものだったのか――。

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 著者は、東大の2つの学部と大学院を出た後、30歳で予備校講師の座に落ち着くが、哲学がしたいという気持ちが胸中に渦巻く。そこで、将来の職の見込みはないが、ウィーンの大学に私費留学をする。そこに、本書中でいじめの加害者とされる教授から東大の助手に招かれる。

 助手というのは、助教授の下に位置し、この先大学に残れるかわからない不安定なポスト。しかし何より、東大という権威ある大学での職が得られたのである。教授は恩人だ。

 ゆえに、著者も助手生活の初めは、教授に対して感謝の気持ちを抱いていた。しかし、歪みは教授の研究に対する姿勢から生まれた。教授は若い時に論文が評価されただけで、その後は研究などしていなかったのだ。著者は、徐々に教授を学者として尊敬できなくなっていく。そうは言っても、子どもではない。大人として、最低限の礼儀は尽くしているつもりだった。

 だが、著者の真意を感じ取ったのか、教授は毎日のように人格攻撃のような注意を浴びせ掛けるようになる。一挙手一投足に対して「態度が悪い」、「親の顔が見たい」などという理不尽な発言は、「うちの芝刈りを頼めないか」という要求までに発展した。「俺は一生教授の奴隷でいなければならないのか…?」と悩んだ著者は、今後も強要される教授宅の芝刈りや、教授が出張する際の空港までの送り迎えから逃れるために、法に触れるのを覚悟で金銭を教授に渡すことを考える。

 しかし結局、著者は金銭を渡すのをやめ、学科長に事実を洗いざらい打ち明けるという選択肢を取った。結果的には、新設大学助教授のポストに就任し、胸をなでおろすラストで本書は締めくくられるのだ。

 とはいえ、相談された学科長が、当の教授に真相を問うた後に、著者へ投げかけたアドバイスには驚かされる。「事件があると困るからどこかに隠れていなさい」と発言したのだ。このいじめ問題で、大学内がひっくり返る騒ぎになったことが伺える。

 アカデミズムの世界の人間関係は、権力の持ち分が露骨だ。まず、教授、助教授(現在は准教授)、助手という順序のヒエラルキーがある。さらに、博士論文の審査資格がある者とない者、博士論文の審査資格はないが修士論文の審査資格はある者、それもない者。また、修士論文の審査資格はないが講義資格はある者、どちらもない者…と、仔細に差別化がはかられるのだ。これは、博士課程を受験する者に配られる受験要綱を見れば、一目瞭然だという。

 そして、この世界では人事についても研究内容についても、序列の下位の者は上位の者を絶対に裁いてはならないという不文律がある。

 大学という、閉ざされた縦の人間関係の世界は、一般人には遠い物語のようでありながら、著者の悩みには共感できる部分がたくさんある。しかしなぜ、著書は自らのいじめ体験を丸ごと書くに至ったのだろうか。あとがきの言葉にヒントがある。

「たしかに、その攻撃があまりにも過酷だったので、その後いまに至るまで私は完全な人間嫌いになった。他人から愛されることも、感謝されることも、尊敬されることも、評価されることも、鳥肌が立つほど嫌いになった。しかし、それはそれまで他人から『よく思われること』を病的なほど望んでいた私にとって『よい』戒めであった。私は、こうした空虚な満足から自由になったのだから」

 「他人によく思われたい」虚栄心を投げ捨て、自分をさらけ出してしまう著者の勇気は、日々の小さな人間関係に悩む者に自由への入り口を示してくれるヒントになりはしないだろうか。いつの日かは手にしたい憧れの境地である。

文=奥みんす