ヤマンバ、イベサー、ガングロ…ギャル・ギャル男はどこに消えたのか? 【元・イベサー「ive.」四代目代表 荒井悠介氏インタビュー】(前編)

社会

更新日:2014/12/29

当時の荒井悠介さん

 1990年代から2000年代にかけて、渋谷にたくさんいたギャルたちはいったいどこへ行ってしまったのだろうか? 渋谷でトップイベサー(イベントサークル)の代表を務めた後、現在、日本で唯一の「ギャル文化研究」を専門に行う異才の研究者、『ギャルとギャル男の文化人類学』の著者である荒井悠介さんに、今のギャルの現状について聞いた。

「ギャザリング」から「シェアリング」の時代へ

―イベサー数は最盛期の10分の1に

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 イベサーはまだちゃんと渋谷に残っていて、今でも活動しているんですが、2000年前後の最盛期の300団体くらいから、現在は30団体くらいに減っていて、高校生よりも大学生の数が減っていますね。全体の人数は200人前後くらいで、最盛期の1/15程にまで減っています。とにかく下の代が入ってこない、という話を聞きますが、あと3年くらいするとイベサーの存続は難しくなるかもしれませんね。渋谷では「3年ひと昔」とよく言うのですが、特に大学生のグループは1、2年持つかどうか…。とにかく今はイベサーを維持するのが精一杯で、1人だけのサークルっていうのもあります。でもそれってサークルじゃないんじゃ…という(笑)。

 センター街でギャルたちを見かけなくなったという声もありますが、今でも集合場所などとしてストリートはかろうじて機能はしているんですよ。ただ、以前のような特徴的なファッションの若者が減っていること、人が集まった後にみんなで溜まれる店に移動すること、そしてそもそもの人数が減ったこともあって、以前よりも不可視化してしまっています。そのため「いなくなった」と思われるのかもしれないですね。

―雑誌は「イロハ」を学ぶものだった

 イベサーに人が入ってこない理由のひとつに、目立とうと思えば今はネットでいくらでも目立てる、ということがあると思います。今の時代はストリートに集まること=「ギャザリング」から、ネットによる「シェアリング」に変わってしまいました。

 以前は最先端のものに触れるには、ストリートへ直接行く必要がありました。その前の段階として雑誌などで情報を収集し、イロハを覚えていたんです。しかし今はネットやSNSを見れば、日本中どこにいても最先端のものがわかるようになった。わざわざ出かける必要のある「ギャザリング」の価値が下落してしまったんです。

―ネットやSNSがサー人の活動を変えた

 さらに集まることに「リスク」が生じたこともあります。以前は悪いことをしているように見えるというのはサー人(※1)にとって重要なことで、馬鹿をやったり、悪いことをしている写真などを内々の仲間が集まる狭いコミュニティだけで見せて自慢する、ということが行われていました。

 しかし「バカッター」などに代表されるように、現在では悪いことなどの証拠がネットで一気に拡散されて叩かれることにつながり、しかもそれが際限なくコピーアンドペーストされて未来まで残り、将来的なリスクとなってしまうものになりました。内輪ウケというのがなくなってしまったんですね。現在は楽しそうなこと、みんなで集まって笑っているようなものが拡散され、「悪いこと」は隠す傾向にありますね。

 以前は「現実」に集まって、悪さも含めて「楽しんで」いたのですが、今は「実際に楽しいとか仲がいいのかなどは別」で、楽しそう、仲がよさそうといった「現実味」のある写真や映像をSNSなどでシェアし、フォロワーから「いいね!」という評価を得ることが「楽しみ」になっている傾向があります。

 極端な例を挙げると、グループでは少し浮いている感じの子が、写真を撮る時だけは輪の中心にいたり、すごく笑顔だったり、メイクも目の前の人に見せることよりも写真になったときにどう見えるかを意識している場合もあるんですよ。このような傾向は彼らが活動する場所や内容が「絵になるかどうか」を考えて選択していることにも表れています。つまり、現実に行動する「リアル」だけではなく、ネットを通じてそれを見た人にも現実味を感じさせる「リアリティ」も重視する楽しみ方が出て来ている、ということが言えるかもしれません。

イベサートップを証明するための写真

―「闇語り」こそが自己プロデュース

 かつて「ケータイ小説」を生み出す場となった「前略プロフィール」などには、「闇語り」というものがありました。ネガティブな過去を語ることで、それを現在のポジティブな力やカリスマ性に結びつけるということをやっていたんです。つまりそれって「自己プロデュース」でもあったんですよ。昔は悪かったという話や、性的な逸脱などのネガティブなことを「武勇伝」にするために使っていたんです。またそういった武勇伝や闇語りをするために、あえてそういう経験をしようと頑張っていた側面もありました。こういった自己プロデュースは、親と仲が悪いというような従来からの「ステレオタイプな不良性」を他者に伝えることも含まれます。でも実際に渋谷に集まっていた人たちは親と仲がいい、良い子が多かったんですけどね(笑)。

 それがTwitterやFacebook、Instagramなどコンテンツの変化によって、妙なことをしたらすぐに拡散して叩かれる、ポジティブなものじゃないと「いいね!」も「リツイート」も「シェア」もされない時代になった。そのため、自分の価値を高めるものであった「リアルな武勇伝」や「闇」を持つことは、以前よりも重要でなくなったといえるでしょう。

 もちろんネットには逆の「いい面」もあります。それはネット上での評価が、現実に社会的な成功や夢の実現に結びつくようになったことです。イベサーが主催するイベントでのモデルオーディションでは「Twitterのコメント・リツイート」「Facebookのいいね! 」をどれだけされたか、という評価が実際の選考基準になることがあります。しかしそれは同時に、過去の過ちも掘り返される危険性と表裏一体のものです。未成年の飲酒や喫煙などを疑われるような言葉や写真がネット上に残っていると炎上する危険性があるので、それが見つかった時点で選考から外れてしまいます。イベサーやギャルにとって、ネットにはこうした「いい面」と「悪い面」があるのです。

(※1)サークルのメンバーは「サー人」呼ばれており、サー人にとって目立つことは非常に重要なことであった。目立つ外見・行動・生活が評価の対象となり、脱社会的であればあるほど「ツヨメ」と呼ばれ、良いとされていた。また性的に逸脱する「チャライ」、悪そう・強そう・ヤバそうという道徳的に逸脱しているように見られる「オラオラ」などがあり、こうした行為を若いうちに行い、早めに落ち着くのがカッコイイとされていて、こうした「レベルアップ」のモチベーションが高いことがサー人の特徴とされていた。

>>後編へ「リーマンショックと監視カメラが渋谷を変えた」

「ギャル」がメジャーになり、層が「ヨコ」と「タテ」に広がった

―渋谷イベサーとローカルヤンキーは異質

 イベサーとローカルのヤンキーというのは似て非なるもので、渋谷に集まっていた人たちはわりと裕福な家の子であったり、偏差値の高い有名校に通っている人たちが多く、文化的にはちょっと違うものだったんです(※2)。しかし最盛期よりも参加者数が減った現在では、イベサー参加者が通う学校の偏差値は低下してきています。具体的にどのくらい変化があったのか、あるサークルに所属する大学生の2001~2014年までの偏差値の推移を調べてみたのですが、14年間で約8ポイント下がっていました。これに伴い、参加者の出身家庭の経済力も以前と比べて低下したものの、基本的には経済的に恵まれている若者が多い傾向にあります。

 1990年代から2000年代前半、一部のエッジのきいた子たちが「ギャル」と呼ばれていましたが、もともとコギャルブーム以降のギャルのメイクや服装はアメリカのロサンゼルスなどの流行を取り入れたものだったということもありますし、僕の先輩はアメリカなどから服を個人輸入したりしていました。そういう意味でも、渋谷のイベサー文化とヤンキー文化は違うことがわかると思います。

―ギャル憧れの有名人に変化

 ギャルという言葉は1970年代から使われていた言葉なんですが、1995年前後に出現した「コギャル」から特殊な存在になり、それが2000年代前半まで続きます。ギャル憧れの人は安室奈美恵に始まり、浜崎あゆみへと変化して、それが2000年代に入るとより身近な読モ(読者モデル)に移り、今ではミランダ・カーなどの外国人の名前が普通に出てくるまで変わってきました。今はハーフっぽいメイクが流行していますしね。

 僕が関わっているギャルの学校「BLEA」でも、最近では海外志向の学生がとても増えていて、英語の教育に力を入れています。これから海外志向はより強まっていくと思います。

―「ヤマンバ」とギャル語

「ギャル文化」というのは、当時は「サブカルチャー」だったんです。ただ「サブ」といっても、いわゆる一般的な「サブカル」という意味ではなく、「逸脱」とか「不良文化」という意味合いの「サブ」です。

 当時話題になった「ヤマンバ」も、個人でヤマンバをやり始めて、その後も続けていたという子はほとんどいません。ブームの時にはそういう子もいましたけどね。だから実際にはヤマンバの人数って、渋谷の中ではあまり多くはなかったんです。

 基本的にはサークルのアイデンティティのためや、そのイメージを作るプロデューサーと呼ばれる人の指示のもと、頑張ってヤマンバをやっている子たちがほとんどでした。彼女たちはそれでメディアに注目され、メディアに出たことでヤマンバを真似する子たちが増えていった、というのが「ヤマンバブーム」の真相です。また彼女たちはギャップを重視するので、メディアに出る時や揉め事があると「テメェ!」とかやっていたんですが、普段は言葉遣いも丁寧で、いい人が多かったんです。そして初期のヤマンバの子って実は高学歴だったり、家庭環境がいい人も多かったし、メイクを落とすとすごいカワイイ子ばっかりだったんですよ!

 ヤマンバって定期的にリバイバルするんですが、あれは「昔のことを知ってるのは偉い」という文化が渋谷にあるからなんです。そしてあの格好は目立つのに効率的ですからね(笑)。ただ、以前にメディアが作ったヤマンバのイメージでやっていて、目立つためのビジネスではなく、プライベートでヤマンバをやっているので、普段から言葉遣いや態度があまり良くない子が多いんですよ。昔はパフォーマンスで、わざと口調や態度が悪いキャラをやっていたことまで知らないんでしょうね(笑)。

 またメディアでひとり歩きしてしまうものには「ギャル語」もあります。サークルや小さいコミュニティ内だけで通用する用語は今もあるのですが、メディアで取り上げられるような突拍子もない言葉は最近はあまり使われていませんね。もともとギャル語は一般社会で使われている言葉を少し変形させたものや、ちょっとだけ独自の意味合いを付与したものが多いんです。最近ですと、ネット関係の用語が増えてますね。しかし特徴的でわかりやすい言葉を欲しがるメディアと、その要求に応えて取り上げられようとする子という「互恵関係」で生まれる言葉や、メディアの側が勝手に言葉を作ってしまうことが非常に多いんです。

 2010年に実際にどんな言葉が使われているのかを渋谷で調査したのですが、いわゆるメディアが流布した「流行のギャル語」の10のうち、実際に使われているのは2か3、半数以上使っているという子はほぼいませんでした。また現場の子たちの多くが「メディアを通じて用語を知った」というケースがあることがわかりました。そしてその作られたギャル語を「流行っている」と勘違いして使っている子がいたり、面白がって逆手に取って茶化して使うということもあるみたいです。今でもその傾向は変わっていませんね。

―SHIBUYA 109の店舗が全国に拡大

 そうした「サブ」な存在であったエッジのきいたギャル文化が、今では「メジャー」になったことも「ギャルがいなくなった」と思われる原因だと私は考えています。
「SHIBUYA 109」が全国に出店されるようになり、さらにそれがネット通販で買えるようになって、ギャルファッションは全国へ波及して行きました。渋谷のギャルたちが始めた「つけまつ毛」や「カラーコンタクト」などのメイクもメジャーになっていきました。

 そうした流れは、ギャル文化を取り入れる層を「ヨコ」と「タテ」に広げました。「ヨコ」はより幅広い若い世代への影響が広まったこと。今までギャルになっていなかった普通の子が「つけま」や「カラコン」をするようになったことです。そして「タテ」は年代です。小学生の読者モデルがギャルっぽい服装であったり、上は50代くらいの方までがギャルのメイクである「盛り」などを取り入れるようになりました。そしてその流れは加速し、日本全国と上海と台湾にも店舗のある廉価な衣料品チェーン店「ファッションセンターしまむら」などにまで影響が広がり、ギャルファッションはどこでも、誰でも手に入れられるものになっていったんです。

 以前はイベサーなどの「渋谷」と、ヤンキーなどの「ローカル」には明確な住み分けがあったんですが、こうした波及効果によって、現在は境界線が非常に曖昧になってきていて、渋谷とローカルのギャルたちは一緒の存在として見られるようになってきています。

 そういったギャル文化が濃度を薄めて全国に広がっていく間、「109」を始めとした渋谷のファッション業界も2009年頃までは売上げをアップさせていたのですが、海外のファストファッションが台頭してきたことで、その勢いに陰りが出てきました。

 さらにその後ギャル文化は細分化し、エッジのきいた層のギャルたちのファッションも海外の流行と融合してきています。ハーフ系のタレントやモデルが人気なことからもわかるように、現在のファッションは海外系、そしてナチュラル系に変化してきています。こういった流れが、これまで渋谷にいたような、原色やアニマルプリントなどを取り入れた派手な子がいなくなったことに繋がり、「ギャルがいなくなった」と感じることになった原因のひとつではないかと考えています。

(※2)
イベサーは1990年代に都内の有名高校に通う高校生たちが結成した「チーム」がベースになっている。それが後に「チーマー」と呼ばれるようになるが、一部が事件を起こすなど社会問題化したことで、1995年頃から大学生のインカレ系イベントサークルと融合したりしながら形成されたのが「イベサー」だ。地元や学校に縛られず、ヤンキーでもチーマーでもなく、「将来は成功したい」といった自己実現のために学校的な空間を自ら作り出し、仲間とともに先輩に学び、後輩を育てるという「キャリア育成」をしていた集団であるというのが特徴。

取材・文=成田全(ナリタタモツ)

>>後編へ「リーマンショックと監視カメラが渋谷を変えた」

荒井悠介●1982年、東京都生まれ。明治大学入学後、2001年にイベサー「ive.」に参加。後に代表として渋谷でトップのサークルに押し上げる。大学卒業後に慶応大学大学院へ進み、ギャル文化を研究、修士論文をもとに『ギャルとギャル男の文化人類学』(新潮社)を著す。慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)を経て、現在は日本学術振興会特別研究員(DC2)、一橋大学大学院社会学研究科博士課程に在籍し博士論文を執筆中。ギャルの憧れの学校「BLEA」にて教育に関わり、明星大学非常勤講師なども務めている。