セックスで洗脳するカルト集団? 中村文則が描く圧倒的な光とは

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/21

辛い、生きづらい、だが、死ぬ勇気はない。見たくないもの、認めたくないものから目を背けて生きられれば良いのだろうが、なかなかそうやって生きられない。無条件に自分を肯定してくれる場がほしい。そう思う者が、自分を救ってくれるかもしれない宗教に惹き付けられるのは、仕方のないこと。誰にだって、「宗教」のようなものにすがりたくなる瞬間はあるだろう。これは、何も、遠い世界の話ではないはずだ。

中村文則氏の新作『教団X』(集英社)では、対立する2つの宗教団体の中で暮らす人々の様子を淡々と描き出している。教団に集まってくる人々は集まる人の分だけ、生きる苦しみを抱えている。欲望が渦巻く中で、惹かれ合い、反発し合う人々はどこへと向かうのだろうか。彼らに救いはあるのだろうか。2014年、『掏摸』でアメリカの文学賞「デイビッド・グーディス賞」を日本人として初めて受賞、『去年の冬、きみと別れ』では、本屋大賞にもノミネートされた中村氏はこの作品でも、社会の暗部、そして狂気を描き出す。中村文則氏史上最長にして圧倒的最高傑作がここにある。

advertisement

楢崎は、自分の元から去った女性・立花涼子を探して、ある教団の門を叩いた。そこは、アマチュア思想家をなのる松尾正太郎を中心に、ゆるやかに形成された宗教団体。だが、涼子は、この集団とは対立する、謎のカルト教団の団員であるらしい。沢渡を教祖とするその教団は、公安警察に目をつけられ、「教団X」と呼ばれているそうだ。楢崎は次第に松尾の団体よりも「教団X」 に惹き付けられていく。神とは何か。運命とは何か。絶対的な闇とは、光とは何なのか。

まるで家族のようなゆるやかなつながりを形成している、松尾の教団と比べると、沢渡の「教団X」の過激さには吐き気を催したくなる。沢渡は、団員にセックスを与え続けることによって、洗脳していく。この教団に属することをどんなに嫌がっていたはずの者も、沢渡の手にかかれば、従順なしもべとなる。セックスには、愛も苦しみも何もない。あるのは、単なる快楽。全身で何もかも忘れて、自我を見失うことができるセックスだけが彼らにとっての救いなのだ。「こいつの身体の中から、重い液体のようなものが滲み出ているように思う。その重い液体に、人が寄せられる。自らの暗部をその液体に溶かし込んでいくように」。沢渡の存在に惹き付けられて、人は、道を踏み外していく。何が正しいのか。何が常識なのか。もうわからない。しかし、読む者は、皆、このような世界が世の中にあったって何らおかしいことはないと思うに違いない。誰もが暗いものを、吐き出せずにもがき苦しんでいる。その容量がいっぱいになった時、抱えられなくなった時、もし、沢渡が作り出す教団に出会ったとしたら、アナタはどうなってしまうのだろうか。

「あなたは、私がつかむことのできなかった、もう一つの運命だったの」。

謎のカルト教団。革命の予感。テロ。真実の愛。運命。中村氏が、「これは現時点での、僕の全てです」と語った通り、この作品には、溢れんばかりの「生」や「性」が漲っている。

これはとても危険な小説だ。時折、垣間見える、ミステリー要素も良いスパイス。一度開いたら、読む手を止めることができない1冊。

文=アサトーミナミ

■『教団X』(中村文則/集英社)