ベートーヴェンの朝のコーヒーは「コーヒー豆60粒」を死守! 気になる天才たちの日課はやっぱりスゴかった

暮らし

2015/1/17

 毎日予定通りに少しの狂いもなく、同じ分量の仕事をこなすこと。それができれば理想だけど、これがめっぽう難しい。朝目が覚めてから夜ベッドへ入るまで、できることなら集中力を欠くことなく、毎日コンスタントにクリアなマインドで仕事に打ち込めたらどんなによいだろう。しかし、現実はそううまくいくわけもなく、アイデアが湯水のごとく浮かんでくる日もあれば、そうでない日もある。

 ところで、天才と呼ばれる人たちの日常はどうだったのか。残されている記録の多くは確固たる栄光とその超人ぶりを描いたサクセスストーリーであり、何に固執していたかなんていう、とりとめのないことについての記述はあまり残されていない。けれど、もしかするとそうした日課にこそ我々凡人が「天才」に近づくことのできるヒントが隠されているかもしれない。

天才たちの日課 クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々』(メイソン・カリー/フィルムアート社)は、作家や映画監督、学者など、歴史上に名を残す天才たちの何気ない日課を細やかに記した書籍だ。その日常を断片的にうかがい知ることができて非常に興味深い。天才たちもまた、私たち凡人と同様に、生みの苦しみやセルフコントロールの難しさに悩まされ、なんとか自分を奮い立たせようと、さまざまな創意工夫を凝らした“個人的儀式”を義務づけていた。

 トーマス・ウルフは創造的エネルギーをかきたてるために窓辺でペニスをいじり、ベートーヴェンが口にするモーニングコーヒーは、一杯につきコーヒー豆60粒を死守。『資本論』を著したカール・マルクスは「金についての本を書いた者で、こんなに金のない者はいままでいなかったと思う」と書き残すほどに金銭感覚がなく、無駄遣いに没頭し、うつ病をぶり返すのを怖れていたホアン・ミロは、ボクシングやランニング、水泳といった激しい運動を含む決まった日課を毎日かたくなに守り、こうした日課が、人づきあいや文化的な催しで妨げられることを嫌った。ヘミングウェイにいたっては、自分を追い込むために几帳面にも毎日書いた語数を記帳していた。

 同著において、唯一の日本人として登場する村上春樹氏は、中でもとりわけストイックな日課を続けている天才といえるだろう。午前4時に起床して、5、6時間ぶっとおしで仕事をしたあと、午後はランニングか水泳、その後、雑用を片づけ、本を読んで音楽をきき、9時には就寝。経営していたジャズクラブを閉めて、田舎へ引っ越してからは、タバコは止め、酒の量も減らし、野菜と魚中心の食生活を心掛けるといった極めて健康的な生活習慣を25年以上、毎日くりかえしている。だからこそ、長年、第一線で活躍し続けることができるのだろう。

 「天才」と一言でいっても多種多様であることはいうまでもない。村上春樹氏のように自己節制が得意な天才もいれば、自堕落な生活に埋没する天才もいる。薬やアルコールなど破滅的な趣向に頼って無理やり創造性を膨らませる天才もいれば、ストイックな生活を強いて規律正しい生活を何年も続けることのできる天才もいるのだ。そこに天才ならではの普遍性を見出そうと試みたところで、結局のところ“人それぞれ”であり、不可能である。

 ただ、ひとつ言えることは、「天才になりたい」と憧れを抱いたところで、私たちの多くはしょせん凡人なのだ。「フランシス・ベーコンは一日に6本のワインを空け、暴飲暴食を続けていても、頭がぼけることも、ウエストが太くなることもなかったらしいから自分も絶対大丈夫!」なんて調子にのって、ワイン片手に筆を走らせると、あとから自己嫌悪に陥る羽目になる。暴飲暴食をした次の日に一日中寝床でゴロゴロしたうえ、編集者からの「再考いただけませんか?本媒体の性質を考えても自粛したいところです」なんていうボツメールで起こされないためにも、参考にするのはやはり自分を律することのできる、「人間としてどうよ」といわれない優等生タイプの天才に留めておいたほうがよいだろう。

文=山葵夕子