阪神・淡路大震災から20年、古の人々が残したメッセージを読む

社会

更新日:2015/1/17

 1995年1月17日未明に発生した「阪神・淡路大震災」から今年で20年。大地震が起こらないと言われていた関西地方での地震は、当時の日本に衝撃を与えた。しかしそれは単なる思い込みで、関西では過去に大地震や津波が発生して甚大な被害を受けている。では大阪を中心とした地震、津波、大水、大火という災害を体験した人たちが、古来どんなメッセージを残してきたのか? それを読み解くのが『古地図が語る大災害 絵図・瓦版で読み解く大地震・津波・大火の記録』(本渡章/創元社)だ。

「古地図が記憶をひもとく糸口になる」という本書は、その土地がもともとどんな場所だったのかという「土地の来歴」を調べるには「古地図」に当たってみることが最適であるという。その際、できるだけ過去に遡ったものがいいそうだが、江戸時代以前の古地図は縮尺が細かくない上に、記号の種類も少ないので、地勢の細部までは読み取れないという。そこで参考にしたいのが「明治の地図」だ。

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 明治時代からは近代的な測量が行われており、精密な地図が作成されているので、そこで現在の状態と比較して、山を削ったり川の流れを変えていないなどの大きな造作が行われていなければ、地盤に関しての危険度は低いといえるという。実際に阪神・淡路大震災で液状化したり家屋が損壊した地域は、もともと川だった場所や沿岸部の埋立地などに集中しており、それは古地図と現代の地図を見比べればひと目でわかる。しかし地盤が固い場所にはその土地が隆起した原因のひとつである活断層があったり、海岸に近い場所は津波の恐れもあるので、「絶対に安全な場所」はないと考えるべきだ。

 また本書では、瓦版や絵図などに描かれた災害も紹介している。中でも凄まじいのが、1854年に起こった「安政南海地震」での津波の様子を描いた『地震津浪末代噺乃種』だ。この地震はマグニチュード8.4、現在もっとも発生が心配される南海トラフを震源とする巨大地震だった。『地震津浪末代噺乃種』には、地震で揺れたことから水上の船へ「安全だと思って」避難した人たちが、突然の大津波で船が押し流されて一気に大阪の市中の堀川へとなだれ込み、橋は壊れ、船は押し潰され、人々が飛ばされたり流されていく様子が描かれている。船に避難したのは津波が「前代未聞」だったからだそうだが、過去にも大阪は津波の被害に遭っており、その恐ろしさが語り継がれていたら、船に避難しようとする人はいなかったかもしれない。

 日本は災害の多い国だ。だからといって毎日毎日「地震があるかもしれない」「台風で洪水が起きたらどうしよう」と思って生きていくのは辛いことだ。そうしたストレスを感じないために、人は辛いことを忘れるような脳のシステムを獲得してきた。しかし本書では、地震対策で一番重要なポイントは「忘れないこと」であり、「忘れたことで被害を大きくして困るのは人間自身である」と指摘している。そして日本の美しい自然風景は地震や噴火による長年の地殻変動によって作られたものであり、大災害はそのことと引き換えのようにして与えられているものだとも語られている。そうした地に住む日本人は、自然災害に遭うたびに復興してきた歴史があるのだ。

 本書には本文中でも紹介された古地図と、災害を忘れないために各地に作られた「災害モニュメント」の探訪記が付録として巻末に収められている。本書を読み、モニュメントを探し、近所の図書館などで古地図や絵図、瓦版などを見ることで、古の人々が残したメッセージを忘れることなく、自分が住む土地にはどんな来歴があるのかを知り、災害は忘れた頃にやってくるものと用心しながら、備えあれば憂いなしをモットーに日々を過ごして行きたいものだ。

文=成田全(ナリタタモツ)