『花燃ゆ』杉文に目を奪われるな! 薩長だけではない、ノンキャリアの“幕臣”が支えた明治維新

社会

2015/1/29

 2015年のNHK大河ドラマ『花燃ゆ』。主人公は吉田松陰の妹・杉文だ。まだまだドラマは始まったばかりだが、「幕末男子の育て方」なるキャッチコピーが付けられているとおり、今後は吉田松陰を輩出した長州藩の視点から、幕末の動乱が描かれることになるのだろう。そして、その中では徳川幕府はよくも悪くも“敵役”。旧態依然とした発想から脱却できず、先進的な思想を持つ長州や薩摩に打倒される…といった具合だ。そして、こうした歴史の捉え方は、教科書からも読み解けるある種の常識になっている。

 だが、『明治維新と幕臣 「ノンキャリア」の底力』(門松秀樹/中央公論新社)を読めば、こうした認識は常識とは言えないのではないか、という印象を持つ。

 この本が取り上げているのは、タイトルの通り幕府の家来である“幕臣”がいかに明治維新の中で活躍をしたのか、ということ。もちろん、榎本武揚や渋沢栄一、前島密ら優秀な幕臣が明治以降も登用されて日本の近代化に尽力したということは、歴史に詳しい人ならば周知のことだろう。けれど、本書のおもしろいところは、こうした名のある幕臣だけでなく、“ノンキャリア”とも言うべき名もなき下っ端幕臣たちにも焦点を当てていることだ。

 少し話を横道にそらして、今の世の中を考えてみたい。官僚主導だ政治主導だといろいろ言われているけれど、いずれにしても世の中(というよりは政治)を動かしているのは高級官僚(キャリア官僚)や政治家たち。けれど、実際に彼らが発案したり推し進めようとしていることを実行するのは誰なんだ、ということだ。

 実際に、政治が決めたこと、高級官僚が決めたことに基づいて“実務”を担い、最終的に私たち国民に行政サービスを提供してくれるのは、高級官僚ではなく、言葉は悪いが下っ端のお役人たちである。役所の窓口を訪ねていけば、そこにいるのは高級官僚でも政治家でもない。“世の中を動かす”なんて大層なことは言えないけれど、確実に行政サービスを遂行しているのは、窓口にいるお役人たちにほかならない。そして、彼らがいなければまともな国家の統治などできっこないのだ。

 で、話を戻して幕末維新期。本書では、260年間もの長きにわたって日本を統治し続けてきた徳川幕府の構造から話を始めている。そして、その中で旗本や御家人といったいわば幕府の“官僚”たちのキャリアパスについても触れる。どこぞのドラマでお馴染みの「南町奉行」は官僚の中でもトップクラス。長く同じ職場にとどまることはなく、定期的に異動を繰り返して出世していく。

 一方で、奉行所の下っ端役人たちは、旗本・御家人とはいえ石高(今で言う給料)の少ない下級武士。彼らの多くは、生涯同じ職場で実務を担い、スペシャリストになっていくのだという。中には、スペシャリストであるがゆえに老中をも黙らせるほどの権力を有した人たちもいたそうだ。こうした“官僚組織”こそが、徳川幕府が260年間も平和裏に国内を統治できた大きな理由のひとつなのだ。

 ところが、明治維新を成し遂げた長州や薩摩には、こうした実務に長けた人材はいなかった。大久保利通や西郷隆盛、木戸孝允らは優れた指導者だったが、彼らは高級官僚であり政治家。実務を担う役人たちが必要だった。そこで、薩長が“朝敵”に貶めた幕府の家臣である幕臣たちを、仕組みごとほぼそのまま丸ごと登用していたという。

 例えば、江戸の奉行所は新政府によって接収されたが、そこで働く役人たちは全員新政府の一員となり、そのまま同じように仕事を続けることが求められた。また、本書で大きくページを割いている北海道開拓使では、多くの幕臣が活躍していると記す。

 もちろん、その後の政治体制の変革の中で幕臣たちが果たした役割も変化したが、大きな政治体制の変革の中で、混乱といえるほどの混乱もなかった(戊辰戦争はさておいて)その背景には、実務のスペシャリストとして260年間の徳川幕府を支えた幕臣たちの存在が不可欠だったのだ。

 これからの『花燃ゆ』がどのような展開になるのかはわからない。けれど、“薩長が古い幕府を倒した”と一言で言えるほど単純ではない歴史の一幕。ドラマはドラマとして楽しみつつも、そんな明治維新のもうひとつの一面も頭の片隅に置いておきたい。

文=鼠入昌史(Office Ti+)