合体モノで一世を風靡! アオシマ「合体」プラモの歴史をひもとく1冊が話題

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/21

時に1974年。オイルショックの異常な空気が渦巻く世の中に、夢と希望と未来をのせた新ヒーローが静岡県から発進した。模型メーカー・アオシマ文化教材社の切り札「合体マシンシリーズ」である!

合体ロボ・アトランジャー、合体巨艦ヤマト、合体カウンタック! 4つのマシンを集めて合体させることで、ロボットやスーパーカーが完成するという斜め上のアイデアに、昭和のプラモ少年たちは心を踊らせた。

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そんな合体マシン(+廉価版のミニ合体)を網羅した1冊が刊行され、極地的な話題を呼んでいる。それが『アウトサイダー・プラモデル・アート 青島文化教材社の異常な想像力』(有田俊:著、吉野正裕、太田幸彦:写真/双葉社)だ。

ホビー史上初と言われる「合体するプラモデル」は、どんな経緯で生まれたのか? きっかけは特撮番組「スーパーロボット・マッハバロン」の商品化だった。

「マッハバロン」は、バンダイ、今井科学、アオシマの三社からキットが発売されたが、アオシマが得られたのは「300円、500円、1000円の価格帯」の「主役ロボット」のみ。劇中には戦闘機やスーパーカーも登場するのに、アオシマはそれらを発売できない。主役ロボットだけで商品展開という厳しい条件の中、「第1課」と呼ばれる部署の一人が「ロボットをバラバラにしてはどうか」と発案した。「そんなの売れるか」「そんなバカげた商品があるか」と仲間は大笑いしたが、最終的に出た結論は─「そんなバカげたものを商品化しなくてはダメだ」だった。

第1課の4人の社員は、共同で「合体マシン」の設計に臨んだ。4人のチームだったため、ロボットは「頭・胴体・腕・脚」の4分割となった。1つ500円のキットは子どもにとっては高額商品だ。一度に全部を買えるわけではない。単体で楽しめるようにと、これまた子どもたちに人気のあった「戦車」や「戦闘機」を組み合わせた。こうして「頭が載っかったタンク」や「ウイング代わりに両腕が付いたジェット機」などの奇抜なマシンが誕生する。

さらに「親の意見」も反映させた。「難しくて子どもは完成できない」「接着剤や塗料の溶剤が有害」なプラモデルは「買っちゃダメ」な商品だった。するとアオシマは、接着剤不要の「はめ込み式」を開発し、無塗装でも見栄えがするようにプラの成型色をカラフルにした。

果たして、「合体ロボット・マッハバロン」は大ヒット商品となった。こうしてシリーズが始まるのだが、全てのキットの「合体の軸」を同サイズにすることで、別のロボットやマシンを買っても、組み替えて「自分だけのロボット」が作れる自由な遊びが、そこにはあった。

企画担当が営業を兼ねていたアオシマは、市場の空気を敏感に察知し、問屋の反応や子どもや親のニーズを冷静に分析して商品を開発していく。

子どもの小遣いに対応すべく1つ100円の「ミニ合体」を発売したり、スーパーカーブームには迷わず「合体カウンタック」を送り出す。テレビでロボット作品が減ると「自分たちで作ればいい」とオリジナルロボットを企画する。社員がストーリーもデザインも行って、合体シリーズを盛り上げた。

しかし、80年代に入るとガンプラブームによって消費者が「作品の設定に近いもの」を求めるようになり、奇抜で自由な「合体マシン」シリーズは終焉を迎えてしまう。

それでも、合体マシンシリーズで培われた「アオシマイズム」は消えることはなかった。その後もアオシマ文化教材社は、1/50000スケール山岳模型(北アルプスのプラモ!)や「涼宮ハルヒの痛車」を発売するなど、僕らの常識を越えた「異常な発想力」で、プラモデル業界に衝撃を与え続けている。

残念ながら、古い金型は処分されてしまったそうで、合体マシン全ての復刻版は難しいとのことだが、メディアミックスやクラウドファンディングなど状況次第で「新展開もある」と、現・取締役企画開発部部長の青嶋大輔氏は語っている。

本書を読んで、合体マシンシリーズの魅力を感じたあなた。一緒に声をあげようではないか! 僕らの「異常な情熱」が、合体マシンを再起動させるエネルギーだ!

文=水陶マコト