映画の中の“女子”の生きづらさを解体 ーとある映画エッセイの新たな挑戦

映画

更新日:2015/2/11

 いま、本屋に行けば「○○系女子」や「女子力」と、“女子”という言葉のついた書籍や雑誌を見ない日はない。世はまさに女子本ブーム。

 今回ご紹介する真魚八重子『映画系女子がゆく!』(青弓社)もまた、タイトルに“女子”を冠した本のひとつである。が、本書は題名から推察されるような映画好きの女子の生態を語る本ではない。本書のまえがきにはこう記されている。

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 「ゼロ年代から、“文化系女子”という言葉とともに、さまざまな<~系女子><~ガール>が登場しました。本書もまさにそれに便乗しています。映画系女子といっても、映画を見に行く女子ではありません。ごめんなさい。本書では“この映画で、彼女はどうしてこんなことを思うのか。そして、なぜこんな行動をとるのか”を読み解く内容です。」

 そう、つまり本書は映画のなかで表現された“女子”を分析するエッセイなのだ。テーマは文化系女子やメンヘル系女子にはじまり、仕事、結婚、出産、いじめと多岐に渡り、紹介されている作品もソフィア・コッポラの『マリー・アントワネット』のようないかにもガーリーな映画から、成瀬巳喜男の『浮雲』のような、一瞬どこが“女子”とつながるのか疑問が浮かぶ映画まで幅広い。

 本書の魅力は、作品の中における女子たちの心情をすくい取るために、著者本人も自意識の深いところへと潜り込み、その姿を余すところなく綴っていることだ。

 著者の真魚八重子は雑誌『映画秘宝』(洋泉社)や『鮮烈!アナーキー日本映画史1959~1979』(同)や『金田一耕助映像読本』(同)などに映像作品評を寄せているライターである。俳優や監督のフィルモグラフィーを参照しながら丁寧に作品を解剖していく評を読む限り、普段の真魚はデータを重視するタイプの書き手だろう。

 しかし、本書の真魚は違う。自身の職業観を語りながら「働く女性」を描く現代日本映画のヌルさを説き、職場で感じたいじめとそれに伴う苦痛を回顧しながら、青春ホラー映画「キャリー」が描くいめじられる理不尽さに思いを寄せる。「文化系女子、独身か、結婚か、――出産か」の章では著者自身に起こった出来事を「ここまで書くのか!」と思うくらいさらけ出し、シャーリーズ・セロン主演『ヤング≒アダルト』における文化系女子の業と出産を突き刺さるような筆致で論じている。どの文章を読んでも「真魚八重子」という書き手の顔が浮かび上がってくるのだ。

 本書で取り上げられている映画の中の“女子”は、ある種の生きづらさを抱えた人達ばかりである。真魚はその生きづらさを自分に引き寄せて語り、文字の向こうの読者とシェアしようと試みるのだ。このチャレンジは既存の映画本にも女子本にもなかった、極めて稀有なことだろう。優れた作品分析の面と、女子の自意識の深層を鋭く抉るエッセイの面が一体となった1冊である。

文=若林踏