中央線はナゼ真っ直ぐ? 地形図が明らかにする鉄道ルートの決定経緯

社会

2015/2/21

 「歴史認識」などという言葉がある。歴史、というか過去の出来事の真実はひとつだけ。だが、実際はそのひとつの真実はなかなかわからない。だからこそ、「歴史認識」などと言い出すことになるのだ。で、その真実がわからない歴史というのは、何も太古の昔に限らない。明治時代以降の文書がたくさん残っているであろう時代でも、わからないことだらけ、なのである。

 そして、そのひとつが、鉄道路線だ。今、我々が当たり前のように利用している鉄道だが、一体何でその場所に線路が敷かれているのか。その理由が明確になっている例は意外と多くない。

 とは言っても、戦後に建設された新幹線や地下鉄は法律に基づいてルートが決められており、その決定までの過程も明らかになっていることがほとんどだ。けれど、問題は戦前に作られた古い路線。そして、日本の鉄道路線の大半は戦前に建設されている。東海道本線しかり、中央線しかり、山手線しかり。というわけで、ルート決定の理由が判然としていない路線が少なくない、というわけだ。

地形で読み解く鉄道路線の謎 首都圏編』(竹内正浩/JTBパブリッシング)は、そのルート決定の謎に対し、“地形”という観点から答えを出してくれる1冊だ。

 もちろん、ルート決定の経緯が不明とはいえ、何もかもがわからないというわけではない。『日本鉄道史 幕末・明治篇 蒸気車模型から鉄道国有化まで』(老川慶喜/中央公論新社)などを読めば、軍部と鉄道の関係や、建設資金の確保の難しさから民間資本によって多くの鉄道が建設されたことなどがわかる。だが、わからないのはさらに細かい点である。

 例えば、中央線。独特な沿線文化も名高いこの中央線は、東中野から立川付近まで、一直線に結ばれている。日本でも3番目の直線路線だ。その理由は実は定かではなく、役人が鉛筆ナメナメ地図に線を引き、そのとおりに建設されたから…だとか、甲州街道沿線の住民たちが「鉄道が来ると甲州街道が廃れる」と拒否したために街道から離れた場所に建設せざるを得なかった…だとか、いろいろな説がある。

 そんな中、本書では地形図を持ちだして答えを出す。東京西部の地形図を見ると、東中野付近から立川付近までは、ほとんど起伏がないということがわかる。鉄道はとにかく勾配に弱い交通機関。特に明治時代ともなると、馬力の低い蒸気機関車で、できるだけ勾配のないルートを選ぶ必要があったのだ。もちろん、トンネルや橋をつくる技術力も資金力も乏しかった。そのため、中央線のように勾配も大きな川もない場所をまっすぐに結ぶことになった…と推測しているのだ。

 他にも、東海道線の品川~川崎間がかつて海の上の築堤を走っていたということ、渋谷駅が谷底の駅であることなどをきっかけに、地形図でその背景を読み解いてくれる。

 興味深いのは、新京成線に触れた章。松戸~京成津田沼を結ぶ新京成は、26.5kmの路線の中に25ものカーブをもつ“曲がりくねった路線”。戦前の陸軍鉄道連隊の演習線をそのまま利用したため、カーブだらけになったというのは鉄道ファンにはよく知られた話である。だが、その先が問題。なぜ鉄道連隊はカーブだらけの演習線を作ったのか、である。

 本書では、この疑問にも地形図で答えを導いている。それは、下総台地から東京湾に流れる水系と太平洋に注ぐ利根川水系の沢を隔てる分水嶺を縫うような路線になっている、というもの。大きな沢=川を超えれば橋をつくらなければならない。しかし、沢を超えない=分水嶺に沿った路線にすることで、橋を作らずに路線を建設できる…というわけだ。事実、かつての演習線は50km以上の路線の中に2カ所しか橋がなかったそうだ。

「新京成が曲がりくねっている理由」の今までの定説は、演習線であるがゆえにカーブを増やしたというものや、大隊として認められる45kmの路線にするためにカーブを増やした、というものだった。しかし、地形図をつぶさに眺めることで、「沢を避けて分水嶺を縫うように作った」という新たな答えを出す。

 鉄道路線にはまだまだ謎が多いということ、そして地図から新たな発見ができるということを教えてくれる。

 そもそも鉄道はとても勾配に弱い乗り物。車や徒歩ならば坂だとも思わないような場所でも、鉄のレールと車輪で走る鉄道には超難所となってしまう。それが故に、複雑なルートになってしまった場所は全国各地にある。

 機会があれば、地形図片手に地元の鉄道路線沿線を歩いてみてはいかがだろうか。普段は気がつかない地形の変化が、鉄道路線のルートに思わぬ影響を及ぼしていることが発見できるかもしれない。

文=鼠入昌史(Offcei Ti+)