ソーシャルゲームの時代だからこそ、任天堂のノウハウが活きてくる―マニアが語る任天堂復活のカギ

ビジネス

公開日:2015/2/24

任天堂コンプリートガイド ~玩具編~』(山崎功/主婦の友社)

 ヒットゲームを語る上で、ファミコン世代、スーファミ世代、という言い方をされることが多いが、DSやWiiなども含めると、どの世代ももれなく任天堂のヒットゲーム機とともに歩んだ歴史があるのではないだろうか。また、今でこそ、任天堂=ゲーム機器、のイメージが強いが、遡るともともとは花札やトランプで一時代を築いた会社でもあるのだ。だが、ここ数年は天下の任天堂も、ソーシャルゲームに市場を取られてしまったと言われている。こんなときだからこそ、の思いから刊行されたのが、『任天堂コンプリートガイド ~玩具編~』(主婦の友社)。ファミコン誕生前までに発売された玩具類の軌跡を、カードゲーム類、ボードゲーム、エレクトロニクス玩具、実用品、アーケードゲームなど、カテゴリごとに追った資料本である。各玩具の写真と解説だけでなく、任天堂史におけるエポックメイキング的な出来事の裏事情なんかも記載されている。任天堂ファンにとって永久保存の一冊とも言えるが、任天堂の公式本というわけではなく、任天堂製品のほとんどをコレクションしている著者自身が様々な資料や証言を集めて執筆したもの。

 頭のてっぺんから足の先まで任天堂愛に溢れている著者の山崎功氏に、任天堂の今昔物語、そして落ち目である現状からの復活の鍵を聞いてみた。

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山崎功さん

山崎功氏(以下、山崎)「まず、任天堂という会社を語る上で外せないのが『花札』です。任天堂が花札を作っていたこと自体はそれなりに知られていることではあるのですが、特に、当時は職人が売り歩く地域密着型のものだった花札を、初めて全国流通に乗せたことが功績として大きかった。また、花札は博打にも使われたことから、世間でブームになってもすぐに使用禁止になったり税金がかかったりして、かるた市場は打撃を受けました。そんなときにかるたのかわりにトランプに目をつけ、初めて国産製を作ったのが任天堂なんです」

――トランプを日本で最初に売り始めたのって任天堂だったんですね。

山崎「そうです。創業の1889年から1960年頃までは、カードメーカーとして成長していったんです。徐々にトランプ市場が飽和して、売り方を試行錯誤しているうちに、ディズニーとコラボしたトランプを販売しました。キャラクターとのコラボ商品は今までに無いもので画期的でしたね。そこから子ども向けの市場に手を広げていき、玩具を作りはじめます」

――玩具と言うと例えば……?

山崎「特に任天堂の歴史の中で重要な玩具はやはり『ウルトラハンド』ですね。これは“任天堂の救世主”とも言われている横井軍平さんが、仕事中にサボって玩具を作って遊んでいたのがきっかけとなりました。ある日社長室に呼び出されて、“それ商品にしてみろ”と」

ウルトラハンドを持つ山崎功さん

――サボってたことを怒られるのかと思いきや(笑)

山崎「『ウルトラハンド』は、10万個売れれば大ヒットと言われていた当時、120万個も売れたんです。そこからあらゆる玩具や、エレクトロニクス技術を用いた玩具の製作に精を出していくのですが、玩具は当たり外れが大きく、10個出したうちでヒットするのは1つくらいの打率で外れた分の赤字をどうにかまかなう、といった感じでした。商品のヒットで会社の貯蓄に余裕が出てきたのが『ゲーム&ウオッチ』のヒットあたりから。ヒット商品を軸に見ていくと、“任天堂らしさ”が出ているのが、この『ゲーム&ウオッチ』、先ほどお話した『花札&トランプ』、そして最近の『ニンテンドーDS』だと思っています」

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