今年で誕生40周年! 「超合金」の歴史に欠かせない一人の男の存在

マンガ・アニメ

2015/3/1

 この世に「超合金」と呼ばれる合金玩具が誕生して40年が過ぎた。ロボットヒーロー玩具の代名詞とも言える超合金の名前を知らない日本の男の子は殆どいないだろう。

 だが、あなたは知っていただろうか? 70~80年代にかけて世に送り出された超合金の殆どを手がけた、村上克司という天才工業デザイナーの存在を。超合金40年の歴史を紐解く鍵が『超合金の男ー村上克司伝ー』(小野塚謙太/KADOKAWA アスキー・メディアワークス)にある。

 1972年、当時ポピー(現バンダイ)の社員だった村上氏は、永井豪原作のTVアニメ「マジンガーZ」に衝撃を受けた。「鉄腕アトムや鉄人28号にはない異質な迫力」を感じ取った若きデザイナーは「(溶融金属を金型に流し込み整形する)ダイキャスト製法でポケットサイズの玩具にしてみたい」と考えた。精巧で、ひんやり冷たく、ズッシリ重たい玩具でマジンガーの魅力を表現したら…「少なくとも俺は好きだ、子どもに受け入れられるはずだ」と。

 だが、その開発は困難を極めた。胴体や手脚の曲線が上手く出ない。肩や脚の関節が緩まないよう、精密な機構の全てを全高12cmのボディに収めなくてはならない。何より「子どもが乱暴に扱っても壊れない頑丈さ」が不可欠。延びに延びた開発は数カ月に及んだ。

 果たして1974年2月、遂に発売された「ダイカスト・マジンガーZ」は、第1期シリーズだけで50万個の驚異的なヒット商品となった。販売されたものの中には、ミサイルが飛ばないなどの不良品もあったが、返品は殆どなかった。「子どもらは、昼はポケットに、夜は枕元に置いて、修理に出すのも嫌がった」からだった。「子どもの手に合わせた基本サイズと重さ」にこだわって生み出した製品の勝利だった。

 興味深いのは商品名が初版時は「超合金ではない点」だ。改良を重ねる過程で商品名は「超合金」へと変わる。これは、「マジンガーZ」本編に登場する「架空の金属・超合金Z」に由来する。そう、この時代のキャラクタービジネスは「番組制作→玩具制作」の流れで行われていたのである。

 変化がもたらされたのは、1974年の「勇者ライディーン」だ。「ポスト・マジンガーとなるヒット商品を作るには、企画段階から積極的に関わる必要がある」と考えたポピーは、新番組を企画中だった東北新社に話を通し、村上氏を会議に参加させた。

 決定的なアイデアが出ずに停滞した会議で、村上氏は「ロボットが鳥に変身する」アイデアを提示。僅か数日で“史上最も美しい巨大ロボット”と呼ばれるライディーンの原案を描き上げた。アニメも商品も大ヒットを記録し、ポピーの狙いは的中した。

 この成功は「玩具開発→番組制作」の流れを生み、日本のキャラクタービジネスを根底から変えてしまった。

 その後も村上氏は5体のメカが合体する「コン・バトラーV」、ライターに変形するロボット「ゴールドライタン」などの名作・傑作超合金を次々と生み出して行く。日本版スパイダーマンに巨大ロボ「レオパルドン」を登場させたのも村上氏だ。

 時には、映像スタッフと激しくぶつかり、「影の権力者」などと揶揄されることもあった。だが、すべてはデザインが最も映えるイメージの追求にあり、スポンサーによる理不尽な商品のゴリ押しではなかった。

 村上氏は言う。子どもが「正体がわからなないなりに欲しているものを、目の前にパッと出してあげる(中略)それがクリエイターの仕事、作家の仕事」であると。

 鋭い眼差しは、いつだって子どもたちの目線と共にあった。だから、「超合金」のミサイル発射や分離合体ボタンの大半は「黄色ボタン」だ。説明書を読めない子どもでも、直感的に遊べるように仕様を極力統一した。

 巨大ロボットの配色には「紺・赤・黄」の3色が多用されているが、それは「男の子はブルーが好き=ヒーローに相応しい色」だという信念に基づくものだった。

 次々と新しい合体変形構造を送り出す「先進性」と、映像と同じ遊びができる「リアリティ」にこだわり、子どもを飽きさせない工夫を絶やさなかった。

 そういった村上氏の姿勢こそが、後追い類似商品が乱造され短命に散った中で、「超合金」が勝ち残った最大の勝因に違いない。

 現在、村上氏は独立してしまったが、魂を受け継ぎ「欲しかったアレ」を生み出し続ける限り、「超合金」はこの先もずっとロボット玩具のトップを走り続けるだろう。

 超合金は、単なる亜鉛合金の塊などではない。終わることのない夢と憧れの結晶──「不滅の超合金」なのだ。

文=水陶マコト