「勇敢(かりぶ)」「雄(らいおん)」「響(りずむ)」…、なぜ「キラキラネーム」は生み出されるのか?

出産・子育て

更新日:2015/3/5

子供の名前が危ない』(牧野恭仁雄/ベストセラーズ)

キラキラネームは揶揄や批判の対象

 「勇敢」と書いて「かりぶ」、「穂花」で「すいか」、「雄」で「らいおん」、「響」で「りずむ」、「莉勇人」で「りゅうび」。まるでクイズのようだ。これらは実在するものではないが、実際に名づけ相談の場で、相談者から候補として出された名前の一例。名づけ相談を受けた命名研究家の牧野恭仁雄が推していたら、小学校の名簿に載っていたかもしれない。

 こういった“奇抜”な名前に対して、一般的に2つの呼び方がある。ひとつは「ドキュン(DQN)ネーム」。「ドキュン」は、主にインターネットで多用される俗語であり、不良少年、ヤンキー、暴走族など、世間からあまりかしこいとされてない若者たちを指す。奇抜な名前に不快感や嫌悪感を持つ側からの呼び方である。もうひとつの呼び方は「キラキラネーム」。名づけた側が「輝かしい名前でしょう」と自画自賛する際に用いられるが、第三者が皮肉で使う場合もある。

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 ドキュンネーム(キラキラネーム)は、揶揄や批判の対象として、世間を騒がせてきた。これら奇抜な名前を見て「個性がある」「感性がいい」と褒めそやす人は残念ながらほとんどいない。たいていは「親の知能やモラルが低い」「子どもがかわいそう」などと苦々しく思う。ときには「虐待だ」ともいわれる。

 しかしである。ここでドキュンネーム(キラキラネーム)に対する考察を止めてしまっては、事の本質にたどり着くことはできない。なぜ、奇抜な名前が生み出されるのか。『子供の名前が危ない』(牧野恭仁雄/ベストセラーズ)は、奇抜な名前(以降は本書に従って中立的に「珍奇ネーム」と呼ぶ)が量産される背景には、社会的な事情や個人の心理が働いていると分析する。

かつての日本にも珍奇ネームはあった

 そもそも名づけには、時代や人々の価値観が大きく関わる。伊多知(いたち)、与呂志(よろし)、雷(いかづち)、真虫(まむし)、談(かたる)。一見ギョッとするが、日本で6〜9世紀あたりまで、ふつうに存在していた名前の一例だ。珍奇ネームの問題はいくつかあるが、主に「漢字の読み方がまちがっていること」「一見して読むことができないこと」「一定の層に不快感を与えること」などである。古代日本において浸透していた伊多知や与呂志などは、現代で人気がある大翔(ひろと)や陽菜(ひな)などと、特段変わりがなかったのだ。

 名前は世相を反映する。そういう見方で珍奇ネームを分析すると、納得いく部分が多い。

 大正から昭和初期にかけて多かった名前は、千代(千代子)、久子。全国に無医村がたくさんあり、子どもの死亡率が高い時代だった。昭和前半に多かった男の子の名前は、茂、実、豊、など。日本全体が食糧不足だった時代だ。女の子のほうでは幸子、節子が人気の上位を占める。女性にとくに求められていたのが節操や貞節、嫁いだ先での家族の幸せだったことがわかる。1937年の盧溝橋事件で日中全面戦争に突入したあたりから増え始めた名前は、勝利(勝)、勇、武、勲、進、など。太平洋戦争が終わる1945年に近づくほど、その傾向は顕著になっている。近代に入り、アメリカに追随するほどの豊かな国になると、愛や愛美の名前が目立ち始める。

 つまり、名前でわかる世相とは、日本人の欠乏感。名づけで子どもに望むものとは、多くの場合、名づけの親が不足していると感じるものなのだ。ちなみに、戦国時代の名将、武田信玄、上杉謙信、織田信長の名前で共通しているのは「信」である。徳川家康も、若いころの名は「元信」で「信」が入っている。謀略が渦巻き、人間が信じられなかった時代にあって、人々が飢えていたものが「信頼」であったことが想像できる。

 名前から少子化への推移傾向も読み解けるという。統計的に男の子の場合、シやジの音で終わる名前はほとんどが次男や三男。長男には少ない。「産めよ増やせよ」と出産が奨励された太平洋戦争から戦後のベビーブームまでは、ひろし、たかし、こうじの音で呼ぶ名前が毎年上位を独占している。しかし、少子化が社会問題となってきた昭和の終わりごろに急減し、1985年に人気5位から姿を消したあと、現在まで再登場していない。

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