野宿の人びととともに歩んで20年…今語られる路上のリアル

社会

更新日:2015/3/8

 鵺(ぬえ)とは、平安時代の伝説上の妖怪である。サルの顔、タヌキの胴体、トラの手足、ヘビの尾を持ち、気味の悪い声で鳴いたとされている。「現代の日本における“住まいの貧困”が、まるで鵺のようだと感じている」と語るのは稲葉剛さんだ。1994年から東京・新宿を中心に野宿者の支援活動に関わり続ける稲葉さんのエッセイ集が、2014年12月30日に発行された。『鵺の鳴く夜を正しく恐れるために——野宿の人びととともに歩んだ20年』(稲葉剛/エディマン)である。

 路上の生活は過酷だ。夏は容赦ない襲撃が増え、冬は凍死の危険と日々向き合うことになる。稲葉さんたちが2014年に行った調査では、計347名の野宿者のうち約40%が、襲撃を受けた経験をしていることが明らかになった。襲撃者の38%は子ども・若者であり、襲撃者の75%が複数人で襲撃に及んでいる。子ども・若者による襲撃の中では、ペットボトルやタバコ、花火などの「物を使った暴力」が53.6%を占めている。

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 この痛々しい現状を改善すべく、2014年8月14日には「野宿者襲撃への対策を求める要望書」が東京都宛てに提出された。都としての公式な調査や、野宿者への差別や偏見をなくす具体的な対策が必要なのだ。この日行われた記者会見では、墨田区内で野宿をしている60代の男性も発言した。「中学生が5〜8人のグループでやってきて、ロケット花火を打ち込んだり、石を投げてくる。(中略)毎日、“今晩もくるんじゃないか”という不安を感じている。ノイローゼで眠れなくなってしまった」と訴え、大きく報道された。

 翌日、舛添要一都知事は「(前略)とくに若い人たちが加害者になるというのは、教育現場の問題でもありますので、(中略)しっかりと徹底したいと思っています」「人権週間とかイベントにおいて、こういう啓発活動をやっていきたいと思っております」と発言した。20年を経て、ようやく都が取り組むべき課題として認知されるようになった、野宿者への襲撃問題。1995年以降、都内で襲撃を受けて死亡した野宿者は11名にのぼる。奪われた命は決して戻ってこない、と稲葉さんはかみしめる。

 稲葉さんは中学校や高校へ出向き、野宿の当事者や経験者と直接出会わせる授業を行うことで、襲撃を減らす活動を続けてきた。中には稲葉さんとともに夜回りボランティアに参加した中学生もいる。彼らが路上生活者を襲撃なんてすることはないだろう。私自身もまた、自分の中にある差別の意識と真正面から向き合わなければいけないと感じた。

 1995年12月に亡くなったある方は、午後7時に発見され、検視の結果午後1時には死亡していたことが分かったという。現場は新宿で最も人通りが多い通路だった。1日数万人が行き交う新宿の路上に白昼6時間、遺体が放置されていたのである。これが我々の東京の現状だ、と稲葉さんは語る。

 ニョキニョキと天高く伸びる新宿の高層ビル群は、今日も輝いている。たくさんの労働者を集めて建設したものの、バブルがはじけて行き先がなくなり、皮肉にも自分が建設に関わったビルの軒下で夜を明かす人びとも存在した。また、早くも1990年代から野宿者に被曝労働をさせるべく、原発に駆り集める動きがあったことも、本書には生々しく記してある。

 貧しい人の姿が見えず、無機質な風景ばかりが広がる新宿は、果たして美しい街と呼べるのだろうか。路上に生きる人びとの間には、あたたかい仲間同士のつながりが確かに存在する。稲葉さんは、雑多な人びとの集まる街の魅力が失われるのを危惧すると同時に、人のつながりこそが路上を変えていく力になると信じている。 本書を紹介するに当たり、稲葉さんからコメントを寄せていただいた。

「“路上で人が凍死したり、餓死したりするような社会はおかしい!”という思いで支援活動に飛び込み、約20年間歩んできました。20年で貧困は拡大し、誰がいつホームレス状態に陥ってもおかしくない日本になりました。この本で貧困の“原点”を知っていただくとともに、“ホームレス”と呼ばれた人たちがそれぞれどのような人生を歩んだのか、という点についても触れていただければと願っています」 繊細な線でダイナミックに表紙に描かれた鵺も印象的だ。かつて新宿西口の地下通路に存在した「ダンボール村」のダンボールハウスに絵を描いていた武盾一郎さんによる作品である。

「タイトルに“鵺”が出てくると聞いてイメージができました。僕は当時あの場所に精霊を感じていたので、その感触を思い出しながら描き進めました。決して心地良いとは呼べない生臭い体験を、闇の要素を抱えたまま美しく仕上げたかったんです」 そう、武さんは語る。この本には新宿でふれ合っていた野宿の人びとが次々と登場するが、多くはもうこの世にいない。やさしい文体で書かれたエッセイ集だが、読むのに3日かかってしまったという。

 2014年6月、稲葉さんは「一般社団法人つくろい東京ファンド」を立ち上げ、東京都中野区で個室シェルターの運営も行っている。9月には「新宿ごはんプラス」という新しい野宿者支援活動もスタートした。2001年に設立された「自立生活サポートセンター・もやい」の活動も確実に広がっている。当事者の思いを汲んだ活動は、全国から支援されている。

格差は広がり、貧しい者は生きづらい時代だ。しかし、自分より弱い立場の人に差別の視線を向け、非難したところで現状は変わらない。むしろ息のしづらい窮屈な社会になっていくだけだろう。本書を通して路上のリアルに触れることが、社会を考えるひとつのきっかけになるかもしれない。鵺のように正体の分からないものに惑わされることなく、しっかりと向き合う生き方を考えさせられる一冊である。

文=川澄萌野