独立できない依存的な人ほど親を「毒親」と批判する? 精神科医が「毒親論」に終止符を打つ!

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2015/3/20

 最近、ちまたにあふれる「毒親」を取り扱った本。「ひょっとして、うちの親も毒親だったのかも…」なんて不安に駆られる人も増えているのではないだろうか。この現状に疑問を投げかける1冊が誕生した。『「毒親」の子どもたちへ』(斎藤学/メタモル出版)だ。著者は、「アダルト・チルドレン」という概念をアメリカから日本に導入したベテランの精神科医だ。

 「毒親論」を振りかざすクライアントに、作者は「そんなに親たちを断罪してどうしようっていうわけ?」と言ったこともあるという。実際その親に会ってみると、どこにでもいる普通の親であることがほとんどだ。

 現在の生活がなかなかうまくいかない、自分がもてはやされず悔しい…そんなときに便利な言葉が、「世の中が悪い」あるいは「親が悪い」だ。「毒親論」という他罰的な考え方の根底には、実は「こんな自分で親に申し訳ない」という自罰的な考えが存在する。さらにその根源には、親という他者への膨大な信頼がある。親を責め続ける限り、皮肉にも親から支配され続けてしまうのである。「毒親論」から離れ、自分自身に目を向けるべきなのだ。

 「毒親」と「そうでない親」の間に、明確な線引きはできない。「毒親論」はわかりやすい善悪二元論だが、実際はグラデーションで語れる程度だ。子どもは「自我」を確立すべく、さまざまな時期を経て大人になる。独立できていない依存的な人ほど「毒親」と批判し続けてしまうのだ。「理想の親」も「毒親」も両方とも観念で、どこにもいないのである。

 「毒親」非難を続けている間は、心の中から自分を支配する「内なる他者」を「毒親」と名づけ、自罰感情にとらわれている状態でもある。親からの解放ではなく、自分で自己を解放し、自己肯定感を高めてゆくことが重要だ。そのためには、まずは罪悪感や自罰感情をゆるめることだ。自分を責める(自罰)のも、親に責任転嫁する(他罰)のもやめれば、より楽に生きられるようになる。

 過去がどうであれ、パーソナリティー(人格)は変えてゆける。その変化をテーマにしているのは、夏目漱石の晩年の作品『明暗』である。漱石の執筆は、彼の「神経衰弱」を克服する手段でもあった。「現実への直面を受け入れさえすれば、人は変われる」ことを『明暗』で説こうとしながら、漱石は亡くなった。

 人は何歳になろうが成長できる。成長のためには、自分が変わりたいと思う方向(自我理想)を見つけ、それを他人の前で装い演じること…つまり「結果から入る」ことが重要だ。その持続ができれば、次第に内面も充実してきて、さまざまな症状も消えてしまう。「毒親」について語ることは悪ではないが、時間の無駄にしかならない。「毒親論」は「これからどうすればいいのか」を説いてはくれないのだ。それよりも自分自身の成長を信じて、できることから始めてみよう。その踏み出す一歩が、人生にとって大事な一歩になるだろう。

文=川澄萌野