最後のブルートレイン「北斗星」 456回乗った男のエピソードに見る夜汽車の魅力

暮らし

公開日:2015/3/21

 夜行列車――。この言葉ほど、旅情を誘うものは他にないかもしれない。

 そのためなのか何なのか、夜行列車は幾多の名曲にも歌われている。例えば、中島みゆきの『ホームにて』。ふるさとに向かう最終列車に乗るべきか逡巡する心が歌われる。この中で登場する「空色の汽車」。曲が発売されたのが1970年代の後半だから、きっと青森行の急行「十和田」。使われていた客車スハ43系は、いわゆるブルートレインよりも薄い青。“空色”だった。寝台車は少なく、大半がボックス席の普通車だったから、「灯りともる窓の中では帰りびとが笑う」なんて歌詞にもピッタリだ。

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 定番の『津軽海峡・冬景色』も忘れてはいけない。愛する人と別れて故郷・北海道へ帰る歌。だから、故郷に錦を飾る人が乗る“出世列車”と言われた「津軽」ではなくて、普通車の多い「十和田」か「八甲田」だったのではないかと思う。

 夢を抱いて上京するときに乗る夜行列車。夢破れてふるさとに戻るときに乗る夜行列車。成功して凱旋帰郷のときに乗る夜行列車。いずれにしても、夜行列車に乗る人はみな、万感胸にいだいて旅をするのだ。
 もちろん、新幹線や飛行機に乗る人だって何かしらの思いは持っているだろう。でも、夜行列車が特別なのは、そんな人たちが十数時間にわたって一本の列車で濃密な時間を共有するということ。窓から見える景色も、ガタンゴトンの列車の揺れも、朝を告げる車掌の車内放送も。だから、列車に乗って夜を越す、その中でいくつものドラマが紡がれるのだ。

「北斗星」乗車456回の記録』(鈴木周作/小学館)。この本には、そんな夜行列車でしか味わえない旅情がたっぷりと詰まっている。

 3月14日のダイヤ改正で定期列車としての運行を終えた「北斗星」は、青函トンネルの開通とともに登場した寝台特急。それまでは青森で青函連絡船に接続する夜行列車が多数走っていたが、青函トンネルのお陰で乗り換えなしで東京と札幌が結ばれたのだ。上野駅13番ホームを出発し、東北本線経由で青森、そして函館へ。約16時間かけて札幌に到着する。2014年に「あけぼの」が臨時列車化されて以来、“最後のブルートレイン”として走り続けてきた。

 そんなわけで、“夜寝ている間に目的に着く”という本来の夜行列車の役割以上に“乗ることそのものが目的”になりがちだった「北斗星」。だが、同書の著者は「実用性」にこだわっている。そして、456回乗っても毎回違う車窓からの眺めと乗り合わせた乗客との思い出話。アテンダントや食堂車のコック、車掌らとの“常連ならでは”のエピソードも織り込まれている。庶民的な価格の「開放B寝台」から超豪華版の「ロイヤル」まで、それぞれの特徴も魅力的に綴られる。

 どんな思い出が「北斗星」に詰まっているのか。それは本書を読んでいただくのが一番なので、ここでは詳しくは触れないけれど、列車が大きく遅延したときだけ食べられる「遅延カレー」や、母娘3世代で旅をしている家族との出会いなど、いずれも情景が目に浮かぶ印象的なものばかり。一晩を一本の列車の中で過ごしたからこそ感じることのできる究極の旅情がそこにある。「夜行列車はなぜこれほどにまで旅情的なのか」という質問の答えは、まさにこの中にあるのだ。

「北斗星」の定期列車としての運行は終わったけれど、8月までは週3回ほど臨時列車として運転される。列車のきっぷの発売は運転日のひと月前だから、まだまだ最後のブルートレインに乗るチャンスがあるというわけだ。8月以降、「北斗星」がなくなれば“上野発の夜行列車”は正真正銘姿を消すことになる(臨時列車が運転されることはあるかもしれないが)。

 新幹線や飛行機にも、もちろん“旅情“はある。けれど、いろいろな人が同じ列車の中で一夜を過ごし、乗った人にしかわからない“何か”を感じる。そんな旅ができる機会はもうあとわずか。ブルートレインブームに熱狂したかつての少年少女。いつかは寝台特急に乗ることを夢見ていた人。最近鉄道の旅をしていないという人。かつて乗ったブルートレインの思い出を持つ人。あてもなく北へ行ってみたいという人。どんな人にとっても、最後のブルートレイン・北斗星。乗り遅れるわけには、いかない。

文=鼠入昌史(Office Ti+)

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