獄中結婚した“木嶋佳苗”は、なぜモテる? 過激なポルノ私小説『礼讃』でその謎が明らかに!

文芸・カルチャー

更新日:2021/6/17

 なぜ男たちを手玉にとれたのか――大半の読み手はその謎を解明すべく、現実の木嶋に繋がるトラウマや心の闇を探そうとするだろう。だが「(売春を指して)私がしていたことは、拝金主義でも、承認欲求でも自傷行為でもない。親への欲望を代理充足したのでもない」とあるように、明らかな心理的因果関係を探すのは実は容易な事ではない。自身の性器の魅力、ギャンブルやスイーツへの熱意、金のない男たちの切り捨て、そして自分を否定するものたちへの侮蔑を描く時だけは、一瞬ギラリとした感覚(執着や功利的で利己的な側面)を見せるものの、描写がいちいち克明な割には全体に不快以外の主体的な感情は薄く、その場に流される感じは不気味ですらある。むしろ、自らを文楽の人形にたとえて「私は、男性によって息吹を与えられ、思考を持つ」とあるように、彼女の中心にある「巨大な空洞」のようなものが印象に残るのだ。

 この空洞の正体は何なのか。是非それぞれに考えてほしいものだが、案外それは「女性」というものの一つのあり方なのかもしれないとも思う。男に「養われる対象」であることに疑問を持たず、論理的思考より好き嫌いを判断基準に、相手の男にあわせることで楽な人生をかちとっていくこと。多くの女性たちが木嶋にイラついたのは、女の自立を目指してがんばってきた自分を否定されたように感じた面があったからではなかったか。

 いみじくも木嶋は「女同士の付き合いにかまけて、男性を大切にすることを忘れてしまったのではないか」と世の女性に苦言を呈す。その上で「私は男性に対して演技をしたことはない。男性が望むことをするのが、私にとっての喜びであり、それが自然な行為だった。(中略)(男たちの抑圧された心の奥を汲取ることで)そうした心の深いところから無意識に湧き出たもののふれ合いは、セックスより強力な接着剤になる。その上、セックスも良ければ、離れられないのは当然だろう」と勝利宣言する。実際、彼女が男をひきつけるために重ねたテクニック修練の激しさは、その言葉を裏付けする。単に木嶋の存在を否定するのは簡単だ。だが、この本でひとまずその実像を自らの感覚で捉えることは、案外何かのヒントになるのかもしれない。

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 それにしても木嶋が抱えるような女の空洞は、「害のない存在」として男たちに魅力的にうつる面があるのだろう。残念ながらそれは、未だ変わらない男女のある種の真実でもある。だが空洞=ブラックホール。その引力は、時に男たちの「命」まで引きずりこむのだ。恐るべし、木嶋佳苗。

文=荒井理恵

『礼讃』(木嶋佳苗/KADOKAWA角川書店)

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