男は、もっとキモチよくなれる? AV監督・二村ヒトシ×腐女子が新たなセックスの快楽を提唱

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/21

男性のセックスとは基本的に「能動」なものである。基本的にはペニスが勃起し、射精して終了するという快楽が中心であり、ペニス以外の場所を愛撫してもらう行為は女性に比べて極端に少ないといっていい。そして男体は女体に比べ性愛の対象として見られることが稀だ。だからごくたまに女性やゲイに「いい身体してる」などと言われ、つつつーっと指などを這わせられたりすると、これまで感じたことのない不可思議な気持ちに「や、や、やめてくれ!」と落ち着かなくなってしまうのだろう。

しかし旧態依然とした「ファルス至上主義」はすでに形骸である。敢えて言おう、カスであると!

ファルス(男性のペニス、特に勃起した状態のものを指す。精神分析学などでも使われる)だけの快楽に振り回されることは旧時代のことであり、今こそ「脱ファルス主義」から、新たな性の地平である「ポストファルス主義」へと移行すべきなのではないか…そんな提案をするのが『オトコのカラダはキモチいい』(二村ヒトシ、金田淳子、岡田育/KADOKAWA メディアファクトリー)だ。

本書は「男性の肉体の官能」がテーマであり、「男のカラダは、もっともっと快感を受容して、キモチよくなれる」ということを、アダルトビデオ監督の二村ヒトシ氏、社会学研究者でやおい・ボーイズラブ・同人誌の研究家でもある金田淳子氏、そして編集者・文筆家の岡田育氏が、ファルス以外に男性の性器として扱うべき「アナル」や「雄っぱい」について鼎談、そこへSMの女王様やゲイ男性などがゲストとして招かれ、議論はさらに白熱していく。また装画とイラストを担当するのは『昭和元禄落語心中』でもおなじみのBL出身の漫画家・雲田はるこ氏だ。

本書で語られることは、これまで「それ以外の選択肢はありえない」と思い込んでいた性への認識を、読む前とはまったくの別人にされるくらいまでひっくり返されることだろう。特に印象的だったのが二村監督のこの言葉だ。

 

「一般の男性って自分の肉体が性の対象物であることを、なかなか理解できないんですよね。だから“女性には自発的な欲望がない”とか“ゲイは怖い”とか根拠ない迷信を信じてきたし、男性は声を出したりチンコ以外で感じたりしてはいけないとか、女は支配する対象だとか思っている人もまだ多い。でも乳首で感じる男性が増えてくれば、女も男性の身体を“見て”いるんだと意識せざるをえない社会になっていくんじゃないかと」

 

イギリスの哲学者・経済学者・法学者で、「功利主義」を提唱したジェレミ・ベンサムは、幸福とは個人的快楽であり、社会は個人の総和であるから、最大多数である個人が最大の快楽を持つことが人間が目指すべき「善」であると考えた。正しい行為や政策は「最大多数の最大幸福」をもたらすというものだ。そして性行為も個人的快楽であるから社会の利益になると考えており、個人的に性愛記録日記をつけたり、性行為を悪と見なすことをやめるよう言ったり、誰かに直接的な迷惑をかけておらず、その関係性の中では個人的快楽であるとして同性愛を合法化すべき(当時のイギリスでは違法)だと発言していたという。

そうした点から考えると、ポストファルス主義への移行、つまり根拠なき先入観や固定観念を取っ払って「男の身体は色んなところでもっと気持ち良くなっていいんだ!」と気づく人が増えれば、それは「最大多数の最大幸福」となりうるハズなのだ。

ただあまりに性行為に耽溺すると、生活が破綻してしまう場合がある。快楽には天井も底もないということ、性の追求は個人の選択であり自由であるが、それには責任が伴うこと、また行き過ぎた行動や行為によっては犯罪となったり、体を壊してしまうこと、さらには死もありうるのだということを付記しておく。まずは自分にとっての導師、「マスター」を探すことから始めたいものだ。

哲学者のイマヌエル・カントは著書『純粋理性批判』で「始まりとは、それ以前に先行する時間においては、そこでなにものも始まることがなかった、そのような存在である」と語っている。前例がないからできない、というのは言い訳でしかない。男たちよ、迷っている暇はない。いざ、新たなる地平へゆかれよ!

文=成田全(ナリタタモツ)