「さとり」「ゆとり」というより、今の若者は「つくし世代」? その実態とは

社会

2015/4/1

 「イマドキの奴は」と若者が批判されるのはどの世代も同様だろうが、ここまで揶揄される世代も珍しいのではないか。平成不況の真っただ中に生まれ、2002年~2011年の学習指導要領(=ゆとり教育)で学んだ「ゆとり世代」は、デフレの時代を生きたために物欲もなく、悟らざるを得なくなかった「さとり世代」と評されている。しかし、その世代に属する我が身としては、確かにさとっている面、ゆとりの面もあるかもしれないが、違和感を覚えるのも事実だ。上の世代にはないもっとポジティブな特徴はないものだろうか。

 ADK若者プロジェクトリーダー・藤本耕平著『つくし世代 「新しい若者」の価値観を読む』(光文社)では、「2015年に30歳になる人たちよりも若い世代」に共通するマインドを「つくし」と定義し、若い世代であるほど強まるその傾向について迫っている。藤本氏によれば、今の若い世代は、周りの人が喜ぶように振る舞い、相手に尽くそうとする「つくし」的な傾向があるという。「みんなで楽しもう」「みんなでハッピーになろう」とするパワーは上の世代と比べて顕著なのだという。

 たとえば、今の大学生、高校生たちが好きなのは「サプライズ」。全国の15〜49歳の男女836名を対象としたADKオリジナルweb調査(2014年10月)によれば、10代の約3割が3カ月に1回程度以上の頻度でサプライズをしているという。仲間内の誰かの誕生日が近づいてくると、本人には内緒で誕生日イベントを企画し、当日には予約していた飲食店などに本人を招待して、みんなでバースデーソングを歌ったり、手作りケーキを分け合ったりする。若者たちはイベントを通じて、「つながり」を感じようとしているのかもしれない。外食するのではなく、「宅飲み」で「タコパ」(手作りたこ焼きパーティ)や「かまぼこパ」(手作りかまぼこパーティ)をしてみたり、「制服ディズニー」「コスプレディズニー」をしたりするなど、自分たちだけのイベントごとを企画する。そして、イベント後には、その写真をSNSにアップして、また仲間内で盛り上がるのだ。

 しかし、彼らは闇雲にSNSへ投稿しているわけではない。コミュニティに合わせて、投稿内容を変えるのはもちろんのこと、若者なりのさり気ない気遣いがある。たとえば、2人分の料理を写し、恋人といることを暗にアピールする「リア撮り」。これは、恋人と食事をしたことをアピールしたいが、露骨に投稿して浮いてしまうといけないので、「よく見れば分かる」という程度にしておくという微妙な気遣いの表れだ。ツイッターでは「タイムラインを汚さない」ように「つらい」「やばい」という気持ちを冗談っぽく表現しつつ、さりげなく仲間に理解してもらうために「つらたん」「やばたん」という言葉を用い、重い空気にしないように、自分の気持ちを伝えている。

 だが、「つくし世代」は、他人の行動ばかりを気にしているわけではなく、自身の個性を大切にしている面もある。「渋谷系」のギャル要素と「秋葉系」の萌え要素がミックスされたコーディネート「渋秋系」がその一例といえるかもしれない。従来は、渋谷系のギャルと秋葉系のオタク女子は水と油のように交わることがなかったが、今ではそこに明確な境界線がない場合も多い。若者たちは自分の価値観、枠組みに捕われず、自分の感性にあうものを自由にチョイスしているのだ。現に、藤本氏によれば、10代の8割近くのものが自らに「オタク要素を持っている」という。(ADKオリジナル調査/2014年10月)

 柔軟な思考回路で、個性を表現しようという風土はあらゆる流行を生み出している。上下一揃えが当たり前だった下着を敢えて自分の感性やその日の気分に合わせて、上下別々の下着を組み合わせる「下着コーデ」、男がレギンスを履く「メギンス」、アルコールのキツさが取れるという理由でビールに氷を入れる「かち割りビール」…。これは、個性を生かすために生まれた「ゆとり学習」がもたらしたのだろうか。

 若者たちを一辺倒に「ゆとり」だ「さとり」だと批判するのは簡単だ。しかし、その実態をアナタは本当に理解できているだろうか。この本を元に、若者が何に興味を持っているのか、その裏に隠されたマインドとともに押さえておけば、「異様」に見えていた若者を理解することができるかもしれない。

文=アサトーミナミ