「単なる進学校」と「名門校」の違いとは? ―進学校でない名門校はない

社会

2015/4/3

 開成、灘、麻布、東大寺学園…。誰もが知る不動の進学校であり、疑いようのない名門校である。大学進学実績は、一般企業における「利益」に似ているといえなくもない。「利益」は「結果」である。大学進学実績が学校の価値をすべて物語るわけではないが、進学実績もしくはそれに替わるなんらかの形で「結果」を証明できなければ、進学校ないし名門校とはみなされなくなる。ところで、あなたは「単なる進学校」と「名門校」の違いを説明することができるだろうか。

名門校とは何か? 人生を変える学舎の条件』(おおたとしまさ/朝日新聞出版)によれば、大学進学実績の良い学校が必ずしも名門校であるわけではないが、進学校でない名門校はない、と言い切る。名門校ほど、ガリ勉が多く、受験に特化した教育が行われている…といったイメージは誤りである。それはどちらかというと、進学校のイメージに近いのだろう。本書は、名門校ほど校風が自由で、受験に特化した指導がほとんど行われていないという。生徒たちは部活や行事に熱心で、宿題は問題集よりもレポート中心。授業中は議論や発表の場が豊富で、「真のゆとり教育」を体現しているという。

 名門校がそれだけゆとりある教育で東大や京大に合格者を大勢送りこめるのは、もともと地頭がいい生徒が集まるからだという見解がある。しかし、名門校は即席でつくれない。地頭がいい生徒が毎年集まるようになるには、長い時間の進化を必要とするからだ。つまり、次のような過程である。

(1)いい教育をしている学校が評判になる
(2)地頭がいい生徒が集まる
(3)さらに高い教育を行えるようになる
(4)進学実績という形で表れる
(5)さらに評判が広まり、より地頭がいい生徒が集まる
(6)「名門校」として認知され、毎年、地頭がいい生徒が集まる

 進化の過程で、名門校は3つの共通する特徴を備えていくという。1つめは、自由であること。校風が自由、ということに限らない。未熟な生徒たちに「できるだけ自由に」「できるだけ信じる」という姿勢で自由に触れさせ、試行錯誤し、ときには失敗することで、生徒が勝手に伸びていく下地をつくる。

 2つめは、「ノブレス・オブリージュ」が息づいていること。この言葉の意味は「恵まれた者はその恵まれた環境を最大限に活かし、自分の能力を最大限に開発する義務がある。そうして得た大きな力を社会に還元することが、恵まれた者の使命である」というものだが、生徒は名門校という長い年月で培われた好環境で高めた力を社会に還元できる瞬間、母校を誇りに思うと同時に深く感謝する。母校への恩返しも積極的に行い、名門校がいっそう恵まれた環境として育まれていく。

 3つめは、反骨精神が継承されること。いずれの名門校も、時代に翻弄されず独自の信念ともいえる建学の精神や校風を貫いてきた。その気骨が生徒に宿り、社会にイノベーションをもたらす人材へと成長させ、後輩たちの憧れになると共に勉学等への奮起を促す。

 建学の精神や校風からは、個性的な「らしさ」が生まれる。本書では、これを「家付き酵母」にたとえている。いい味噌や醤油を造る昔ながらの蔵元に棲み着いている「家付き酵母」は、味噌や醤油にそこでしか再現できない独特の「風味」を加える。同じ材料、同じ製法で造っても、ほかの蔵元では同じ味が出せない。学校の生徒は毎年入れ替わるが、名門校に棲み着いた「らしさ」を身につけ、卒業していく。その「らしさ」を身につけた者同士は、ちょっと話をするだけで「匂い」に気づくという。実感としてわかる人もいるだろう。

 本書では、学校の価値を偏差値や進学実績で推し量る風潮をよしとしていない。名門校と呼ばれる学校の本質的な価値が世に広まり、この風潮が改まることを願っている。

文=ルートつつみ