82歳の官能小説評論家がふり返る『日本の官能小説』と性表現 ―摘発と戦ってきたエロスな文学の深淵

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/21

―官能小説にも短編と長編がありますが、ビギナーにはどちらがおすすめですか?

「それぞれによさがあるけれど、短編はエロティックなハプニングをひとつ用意できれば物語が成立します。長編は、いまいったように真打ちの力量がないと、小説として読み応えがありつつ官能も刺激できる作品に仕上げるのはむずかしい。私もしっかり読ませてくれる長編のほうが好きなのですが、そんなわけで滅多にお目にかかれないですね」

―そんな官能小説にも受難の時代があり、1948年『四畳半襖の下張り』を皮切りにたびたび摘発されていると、本書には記されています。

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「その作者は永井荷風だといわれていますが、当の荷風は警察に呼び出されて“自分は書いていない”と否定しつづけて難を逃れました。同作品は1970年代に雑誌に再録されますが、このときもまた摘発されています。そのときは当時の編集長だった作家の野坂昭如氏が被告となりましたが、表現の自由を訴える出版社サイドと、表現の自由は認めつつも“でも、羞恥心を刺激する表現はいけない”と主張する警察側の攻防が繰り広げられて、不謹慎かもしれないけどおもしろかったですね」

―何をもって、摘発の対象となるのでしょう? そこで使われている語句なのか言い回しなのか、行為が行われているシチュエーションなのか……。

「単語ひとつとって摘発されることもありますよ。〈膣〉は医学でも使うことばだからセーフ。でもそこに〈挿入〉と書くとアウト。だから、作家たちは〈身体を重ねる〉など表現をさまざまに工夫することで、摘発をまぬがれてきたわけです。書き下ろしの作品で最後に摘発されたのは、1977年に発表された富島健夫著『初夜の海』です。当時の彼は売れっ子でしたから、警察側はその作品を摘発することで見せしめとしたかったんでしょうね。摘発となるとは世間でもそれなりに取りざたされますから、話題作りのためにわざと過激な表現をして摘発されよう! という作家もいたんですよ。もちろん、相手にされませんでしたけどね(笑)」

―個人的にはひとつの単語が卑猥かどうかにこだわるよりも、痴漢や強姦など性犯罪にかかわる表現を取り締まってほしいと思うのですが……。それ以降、もう40年近く官能小説の摘発はありませんが、写真や動画などさらに過激で直接的な性表現をするコンテンツが出てきたのが原因でしょうか?

「当然、それはあると思います。でも、じゃあ官能小説は何を書いてもよくなったかというと、そういうことではないでしょう。そもそも刑法では“徒に性欲を興奮または刺激せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反すること”をわいせつとしていますが、これは非常に抽象的です。だからお上がある日突然、“これは普通人の正常な性的羞恥心を害するものだ!”と決めれば、また摘発されるものが出てくるかもしれません。解釈次第でいくらでも摘発できてしまうんです。私のこの本だって取り締まられる……こわい話です」

―最後に、活字離れといわれる昨今ですが、永田さんの目から見た官能小説の現在と未来について教えてください。

「官能小説とは読む側のイマジネーションも多分に求められます。先ほど例にあげた〈身体を重ねる〉も、これがどんな行為を指しているのか読者が連想できなければ、エロティックでもなんでもありませんよね。活字離れとともに、そうした想像力のある読者は減っていくでしょう。でも、いったんこの世界にはまって、自分の感性、性癖、フェティシズムと合う作家、作品と出会った人はなかなか離れません。官能小説は懐が深く、あらゆる性癖やフェティシズムがそこで描かれていますから、自分の感性と合うものを求めている人は、どうぞ扉を叩いてみてほしい。若者も女性も照れずにレジに持っていって! というのが私の願いです」

取材・文=三浦ゆえ