歴女も読みたい! 直木賞作家が、“東北を軽視してきた歴史”にマッタをかける、渾身の歴史小説とは?

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/20

安部龍太郎さんが最初に直木賞候補となったのは1994年。そこから19年経った2013年に『等伯』で同賞を受賞。ベテランの栄誉はファンや作家には当然のことと受け取られたが、ご本人はただ驚くばかりだったという。彼はこのときの受賞コメントで「歪んで伝えられている日本の歴史を少しでも是正できるような仕事をしたい」と語っているが、月刊『潮』(潮出版社)で連載されていた『維新の肖像』はまさしくその目的を果たした意欲作である。

「『等伯』を連載していたときに東日本大震災が起き衝撃を受けました。そのとき、東北のために何かをしたいと思ったのです」

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安部さんがとりあげるのは戦国時代や維新の傑物だけでない。直木賞の『等伯』をはじめ、このジャンルではあまり光の当たらない人物を主人公に据える。新作で描いたのは、戊辰戦争を生き抜いた侍・朝河正澄と、その息子にしてイェール大学教授を務めた朝河貫一。近代日本を生き抜いた父子を通じて彼は何を伝えようとしたのか。

「日本人にとって東北とは何か、それを改めて問い直してみたい。ずっとそう思っていた。あれから数年、政府の対応の遅れが次々と露呈しましたが、東北が蔑ろにされてきたのは今に始まったことではありません」

震災後、安部さんが福島に赴いて話を聞いた中で、先の大戦の折、昭和天皇に向けてルーズベルト大統領から親書を送るように働きかけた朝河貫一の存在を知ったという。父・正澄は二本松藩士。富国強兵の機運の中で出世を遂げた息子と、官軍に対して最後まで抵抗を続けた幕府側の侍。安部さんは両者の関係の中に維新の真実を読み取ろうとした。

「私自身、明治維新は功罪相半ばする革命だったと考えています。“罪”の部分は一般に語られるよりもずっと大きい。維新の罪に目を向けないと、本当の意味での近代日本を解き明かすことはできないと思うのです」

明治6年に生まれた朝河貫一は故郷福島で神童と謳われ、東京専門学校(後の早稲田大学)に入学した際には、坪内逍遙や夏目漱石から教えを受けた。その後、アメリカへ留学するのだが、援助を受けたのが大隈重信に徳富蘇峰、さらには勝海舟もいたというのだから、文明開化の象徴ともいうべき存在だ。

安部さんは東北を軽視、あるいは蔑ろにしてきた歴史は今もってなお続いていると力説する。彼が小説を通じて訴え続けてきたのは、「歴史とは何か」「歴史認識とは何か」というところに収束するのだろう。既存の史観が「我々の誰もが歴史の只中にいる」という認識を失わせているのではないかと問う。

「歴史を自分のものとして認識することが大切です。自分の歴史、家の歴史、地域の歴史に目を向けなくてはなりません。歴史を自分と地続きのものと思えなければ勘を失います。自分で考えなければ嫌なことを嫌だといえなくなる。日本の将来を自分のこととして捉える読者の皆さんと、小説を通じて語り合っていきたいですね」

維新の肖像』をとおして、もう一度、“歴史”というものを、ひいては“東北”を、見つめ直してみてはいかがだろうか。

文=田中裕

『維新の肖像』(安部龍太郎/潮出版社)