紫式部はネガティブ・マインドなネクラ女子だった!? 『人生はあはれなり… 紫式部日記』が描く等身大の姿に超共感 <作者インタビュー前編>

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/20

――そこ、勝ち気なナゴンなら「じゃあ、これ知ってる? これは?」と知識比べしそうなところですよね! 自分はシキブとナゴン、どちらに近いんだろう……? そんなことを考えながら本書を読みました。

赤間恵都子さん(以下、赤)「それこそ国文学の研究においても、ふたりは古くから比べられてきたんですよ。鎌倉時代に書かれた『無名草子』には、女流作家としてそれぞれ素晴らしい作品を残したふたりを称賛する文が残されています。近代でも日本を代表する才女として並び称されてきたのですが、明治末期から大正にかけての一時期、国文学者・評論家のなかに、シキブ=温和で貞淑な良妻賢母の鏡であるのに対して、ナゴン=新奇を好み自由奔放で高慢な女だ、と論じる人々がいました」

――かなり恣意的な見方ですね。

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赤「はい。平塚雷鳥らがフェミニズム運動を展開した時代、彼女たちにナゴンを重ね、〈新しい女〉を批判しようとした男性学者たちの論です。これを〈清少納言受難の時代〉と呼ぶ研究者がいます。一方、明治を代表する女流作家・歌人である樋口一葉、与謝野晶子は、それぞれにシキブを絶賛し、ナゴンには親しみを抱いていたようです。与謝野晶子は、『紫式部は師としてしか見られないが、清少納言なら友として付き合えそうだ』と書いています。現代の読者のなかにも、このように考える人は多いのではないでしょうか」

――赤間先生が大学で教えられている学生さんは、シキブやナゴンにどんなイメージを抱いているのでしょう?

赤「高校までの古典の教科書で得た知識しかない学生たちは、シキブもナゴンも平安貴族の優雅な女性というイメージどまりですね。私がナゴン派なので、授業でもついナゴンに肩入れしてしまうのですが、紫式部日記でシキブがナゴンを厳しく批評していることや、枕草子の毒舌パート〈にくきもの〉の面白さを伝えると、学生はだいたいナゴン派になります。敷居の高い古典作家かと思っていたら、明るく前向きで、共感するところが多いじゃん! と感じるのでしょう。また、女性も働いて社会を学ぶべきだというナゴンの主張に驚き、尊敬する学生もいます」

――シキブ、分が悪いですね……。

赤「そうとばかりもいえませんよ。ナゴンは自己主張が強いから好かないという学生も若干います。近年は、自分の気持ちをストレートに表現できずに悶々として、シキブ派だと自称する学生もちらほら出てきました。対人関係に気を遣い、それが面倒で自分の世界にこもるオタク系の学生が増えたのと、漫画やアニメを中心とするオタク文化が世界にも認められ、市民権を得る時代になったのも一因だろうと感じています。ただし、シキブは現代のオタク系女子とは少し違うように思います。現状に満足するのでなく、生きづらさの原因を必死に追求しようとしていたからです」

社交的じゃない、傷つきやすい、人から嫌われたくない……。空気を読むことを求められ、息苦しさからネガティブの沼にはまってしまうシキブ・マインドの女子は、21世紀の日本にも多数、棲息している。後編は、1000年以上前に生きた女性にさらにビシビシ共感してしまうポイントをうかがいます。

>>後編を読む 「Facebookをやったら周囲にイラッとされるのはどっち? 紫式部と清少納言、平安の才女ふたりが現代を生きたら…」

取材・文=三浦ゆえ