世界初の抗生物質を作ったのは日本人だった! …なのになぜ無名?

科学

公開日:2015/4/17

 結核、梅毒、コレラ、チフスなどの感染症は、死につながる恐ろしい病気だ。感染という名の通り、1人が罹れば周りの人も罹る可能性がある。これらの感染症は、長い間有効な薬や治療法がなく、なぜ病気になるのか、なぜうつるのか、原因もわかっていなかった。ようやく19世紀に原因となる病原菌が発見されたが、治療法は自己免疫力に頼るのみだった。

 こうした中、ある時を境に人間が病原菌に対して圧倒的優位に立つ。きっかけとなったのは、抗生物質の誕生だ。

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サルバルサン戦記 秦佐八郎 世界初の抗生物質を作った男』(岩田健太郎/光文社)は、明治6年生まれの日本人、秦佐八郎が、世界初の抗生物質「サルバルサン」を開発するという史実を元にした小説である。

秦佐八郎による、世界初の抗生物質開発秘話

 明治42年1月、37歳の秦はドイツ・フランクフルトのある研究所を訪れる。所長は、免疫の研究で、ノーベル生理医学賞を穫ったばかりのパウル・エールリッヒ。秦は世界トップクラスの研究所で、新薬の開発に取り組むことになった。

 目指すのは「病原菌を殺す」薬。しかも「対象とする病原菌だけを狙い撃ちにして、殺す」薬だ。つまり、現在の「抗生物質」である。

 石鹸の泡にも病原菌を殺す効果はあるが、石鹸水を人の体に注射するわけにはいかない。人の組織を殺すことなく、確実に病原菌だけに働く薬が欲しい――。病原菌には様々な種類があるが、エールリッヒと秦が目標にしたのは、梅毒と回帰熱の病原菌を倒すことだった(梅毒と回帰熱の菌は形状が似ていて、スピロヘータという種類に分類される)。

 秦が行った実験は、大雑把に言うと次のようなものだ。まず、ハツカネズミに細菌を注射する。3、4日経つとハツカネズミの血液は細菌でいっぱいになり、顕微鏡で覗くと、菌の動きがはっきりとわかるようになる。そこに化学薬物を注射し、薬物の及ぼす影響を観察。細菌は減っているか、ハツカネズミに副作用は起きていないかを記録する。

 毎日毎日、同じ作業の繰り返しである。薬物を変え、後の条件は寸分違わず再現しなければならい。秦はエールリッヒと相談しながら、様々な薬物を試し続けた。フランクフルト中のハツカネズミが研究用に捕獲され、足りなくなったのでドブネズミも使った。街からネズミの姿が消えたという。

 そして、とうとう目指す薬物を見つける。606号とラベリングされた瓶の薬物を使用したところ、ネズミの中に植えた回帰熱の病原菌が、ネズミ本体を傷つけることなく死んだのだ。次に鶏や猿への投与を試した後、人間の回帰熱患者にも投与。成功だった。自己免疫頼みではない、化学による治療法が成功した瞬間である。

 梅毒患者に投与した際も、梅毒の病原菌だけを殺し、患者を救うことに成功した。秦がドイツに来てから、8カ月目のことであった。

 翌年、梅毒の治療薬として、「サルバルサン」という名で製造・販売が始まった。「サルバルサン」は、多くの患者を救い、「魔法の弾薬=魔弾」と呼ばれるようになる。

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