芸人の幸せとは何か―夢を追いかけるコメディアンが描く、とんでもないほど泣けるマンガ

エンタメ

公開日:2015/4/29

 「お笑い氷河期」と言われるようになって久しい。お笑いファンも、そして多くのお笑い芸人も、例えば「爆笑オンエアバトル」などのネタ番組をたくさん見て育ってきた。今、テレビではネタ番組が極端に少ない。「オンバト+」と名前を変えて15年間続いていたオンエアバトルも、2014年3月で最終回を迎え、多くの芸人たちが嘆くとともに番組への思い出を懐かしく語っていた。

 となると…「売れる」ためには「賞レース」に勝つことがますます重要になってくる。THE MANZAI、キングオブコント、R-1ぐらんぷりなど、年に1度行われる大会だ。この日のために、1年間かけてライブで次々とネタを試し、ウケた!と手応えがあった「鉄板ネタ」をコツコツと準備するのだ。ライブに出る傍ら、オーディションやバイトなどで芸人の生活は構成されているようだ。それがリアルに伝わるのが『芸人生活』(井上二郎/彩図社)。お笑いコンビ「チャーミング」のツッコミである井上二郎さん(以下じろうちゃん)が、趣味のマンガを晴れて出版することになったのだ。

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 しかし、「売れる」とはなんなのだろうか。もちろん出世しても、ネタ作りとライブを大事にし続ける芸人も少なくない。芸人の幸せはあくまでも「目の前の人を笑わせることだ」と改めて気づくところで、このマンガは終わっている。これはただのマンガでも、タレント本でもない。それこそ1時間あれば読めてしまうが、何度泣かされたことかわからない。

 2014年のTHE MANZAIで博多華丸・大吉が優勝したのは、記憶に新しい。最後に博多大吉が「本当に面白い漫才師は劇場にいる。劇場に足を運んでほしい」と呼びかけ、感動的なフィナーレを迎えた。まさに、漫才師だけでなくコント師もピン芸人も、はたまたテレビでは映せないようなネタばかり好き好んでやる芸人まで…彼らはきっと今日も劇場にいるのだ。東京では1日に何本ものお笑いライブが行われている。大きな劇場から、小さな公民館の和室まで。3千円ほどのものから、500円や無料のものまで。すぐにチケットが売り切れてしまうような満席のライブから、お客さんがゼロのライブまで。

 このマンガでは、じろうちゃんと相方の野田ちゃんがコンビを組むまで、じろうちゃんのお父ちゃんが福岡で亡くなるまで、じろうちゃんが結婚に至るまで、「生活」のみならず「人生」が丁寧に描かれている。その中でも軸となるのは、同じ事務所であるSMA NEET Project所属のピン芸人、ハリウッドザコシショウだ。お笑いにストイックに生き続ける彼の一言が、じろうちゃんの心を揺り動かしていく。

 また、やはりSMA所属のロビンフットおぐが、2014年のR-1ぐらんぷりで決勝に進出したエピソードでも、涙が止まらなかった。この年のR-1はとても面白く、自分も3回戦を見に行った。彼のネタは独特かつ斬新だった。個人的には、笑えるというよりも、人間の精神の歪みを表現している文学なのだろうか…とつい深読みしてしまうような一人芝居だった。普段から人間のクズを体現したかのようなキャラクターで過ごしていた彼が号泣するページは、何度見返しても泣けてきてしまう。じろうちゃんの観察眼、そして仲間への愛情が光っている。

 芸人による本でこんなに泣いたのは、『統合失調症がやってきた』(ハウス加賀谷・松本キック/イースト・プレス)以来だった。闘病生活を経て、再び舞台へ戻った瞬間の輝きが目の前に浮かび、むせび泣いた。芸人の目から見た客席の光景、何よりも嬉しいであろうお客さんの笑顔、笑い声…それはじろうちゃんのマンガからも存分に感じることができた。舞台はきっと、一度やったらやめられないのだ。ぜひ、じろうちゃんにはお笑い活動の傍ら、これからもマンガを描き続けてほしいと心から願っている。こんなにも人の心を動かせるのはものすごいことだと思う。

 何の職業にあっても、「自分はこんなにも苦労していて、しんどい」とはなかなか堂々とは言えないものだ。プロ意識が高ければ高いほど必然的にそうなる。それでも、たまに嬉しいことがあるから続けていけるのだ。それは芸人とも重なる部分が大きい。お笑い好きだけではなく、一生懸命に生きている人、すべてにお薦めしたい1冊だ。

文=川澄萌野