鈴木京香主演で映画化! 刊行から40年を経た戦争童話『おかあさんの木』が再び注目を集める理由

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/20

1945年8月15日に太平洋戦争が終結して今年で70年。先の天皇皇后パラオ訪問をはじめ安倍首相による新たな「首相談話」がこの夏発表されるなど、記念行事も多数予定され、いつも以上に「戦争」と「平和」について考えされられる1年になりそうだ。

第二次世界大戦、そして太平洋戦争にまつわる本の出版も続きそうだが、そのなかで異彩をはなっているのが『おかあさんの木』(大川悦生/ポプラ社)だ。いまから40年以上前に刊行され、小学校の国語教科書にも何度も登場したこの戦争民話、2005年以来再版されず、忘れられた存在になっていた。それが今年になって装丁も新たに再登場。6月6日(土)には鈴木京香主演による映画も公開されるという。忘れられかけた物語がなぜ今再び注目を集めているのか? 戦争物語はそれこそ数えきれないほどあるのに。

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戦争民話7篇を収めた、児童文学者・大川悦生さんの処女作品集の最初の物語が、本のタイトルにもなっている『おかあさんの木』だ。主人公はどこにでもいるようなおかあさん。戦争で7人の息子全員が兵隊にとられてしまう。おかあさんは子供が出征すると桐の木を植えて、それが息子であるかのように大事に大事に育て、朝な夕なと話しかける…。民話のような語り口調で淡々と物語は進んでいく。文庫本でたった15ページほどの短い話だし、声高に戦争反対を主張している訳でもないけれど、おかあさんのどうしようもない悲しみがじわじわと心に染みる。そして大義名分や世間体、常識などにとらわれて、流されていた自分に対する後悔…。
「日本中のとうさんかあさんがよわかったんじゃ。みんなして、息子を兵隊にはやられん、戦争はいやだと、一生けんめいいうておったら、こうはならんかったでなあ。」
この言葉が素朴なだけにずっしり重い。

戦いの場面も空襲の場面もない。それなのに戦争がもたらす苦しみ、痛みが自分のことのように感じられる。そして今の自分のあり方が不安になってくる。「どうせ私一人が何か言ったって、世の中は変わらないし」なんて言っていていいのか、そんな「事なかれ主義」が結局戦争を引き起こしているんじゃないだろうか? と。

凄惨で悲惨な情景は確かに衝撃的で印象に残るけれど、でもそれはなんというかどこか「他人事」だ。自分が体験したことがないから、「ひどい」と理解できても、実感は伴っていない。けれど家に残されて、ただひたすら待つ苦しさ。自分のしたこと(しなかったこと?)を思い出す度わき上がる後悔。これは程度の差こそあれ、とても日常的な感情だ。だからおかあさんの気持ちがわかる。実感できる。戦場の外にいるおかあさんの姿を通して、戦争の虚しさが伝わってくるのだ。当事者ではなく傍観者としての戦争。この視点がもしかしたら、戦争を経験したことのない私たちにとって一番近い感覚なのかも。だからこそ今再びこの話が取り上げられているのだろう。子供だけでなくぜひ「親」に読んでもらいたい物語だ。

「おかあさんの木」以外の6篇も作者の視点が独特で、まるで初めて読む話のよう。ゾウの花子さんの物語、東京大空襲の夜、玉砕の島…どれも「知っている」けれど、それが本当に一面的な「知識」だったことに気づかされた。30ページにも満たない短い物語ばかりだが、描かれている感情は例えようもなく深い。繰り返し読めば読むほど、色々なことが見えてくる1冊だ。

文=yuyakana

おかあさんの木』(大川悦生/ポプラ社)