自己評価が低い女の子がある日突然、自分のルーツ=在日コリアンだと知らされたら【深沢潮インタビュー前編】

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/20

主人公の朋美は〈普通〉でいることを渇望していた。自分はどこか普通とは違う。シングルマザー家庭で、実業家の母は仕事ばかりで家にいないのに、過度なほど教育熱心。祖父母からも距離を置かれている。生き別れた父の記憶は、かすかにしかない。大学を卒業した朋美が出版社でアルバイトをするようになってしばらく経ったころ、母が衆議院議員に出馬し、マスコミによってその過去が暴かれる。「彼女は未婚の母であり、娘の父は北朝鮮の工作員だったのではないか」と―。

ひとかどの父へ』(朝日新聞出版)には、彼女の父と母が出会った1960年代から、朋美が突然、自分の出自を知らされた1990年代、そして現在にまで続く物語がつづられている。この小説が生まれた背景や、そこに込められた想いを、著者の深沢潮さんにうかがった。

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―デビュー作の『ハンサラン 愛する人びと』(2013年、新潮社)以来、深沢さんご自身が必ず作品に反映されていると感じます。今回は在日コリアンというルーツがダイレクトに題材となっているだけに、その傾向がより強いのでしょうか?

深沢潮(以下、深):本作ではいろんな登場人物やエピソードに自分自身を散りばめました。なかでも、朋美がいう「普通でいたい」は、長らく私自身の願いでもあったんです。本名が変わっているのでクラス替えのたびに担任から確認されたり、パスポートを作れば周囲の人と色が違ったり……いろんな局面で〈人とは違う〉ことを突きつけられてきました。ルーツにまつわることだけでなく、家族の事情でよく祖父母や親戚のうちに預けられていたので、自分の居場所がどこかわからなくなり、ずっと孤独感がつきまとっていました。

―「自分が何者なのかわからない」と、常によるべなさを抱えている朋美ですが、外から〈シングルマザー家庭の子〉〈私生児〉などというレッテルを貼られていきます。そこには「かわいそう」という感情も含まれているように見えました。

:かわいそうという感情はある意味、差別的なニュアンスがあって、その対象を上から見ていますよね。シングルマザー家庭の子はかわいそう、在日コリアンはかわいそう。同時に、周囲が期待するように「かわいそうな人でいなければならない」というプレッシャーもあります。私が小学生のとき、それまで家族の方針で伏せておいた自分の出自を教室でカミングアウトしたのですが、聞いていた担任の先生が突然、『かわいそうで涙が出ちゃう』ってぼろぼろ泣き出したんです。それまではいい先生だと思っていたのですが、彼女が私のことをどう見ていたのか、そのとき知りました。

―朋美が出自を知ってその事実から逃げ出そうとしたり、実は自分のなかにも在日コリアンへの差別的な視線があったことに気づいたり……弱い部分がたいへんリアルでした。

:在日コリアンの女性を描くときには〈戦う女〉になることが多いのですが、そういう女性を書きたいわけではなかったんです。いま、朋美のように自分に自信を持てず、自己評価が低い女性が多いですよね。バックグラウンドは違っても、心にいろんな葛藤や弱さを抱えながら生きているのは同じです。

―それとは対照的なのが、朋美の親友で、ニュースキャスターを目指している孫由梨(ソン・ユリ)です。子どものころから在日コリアンとしてのアイデンティティを強く持ち、そんな自分を外に向けて発信もしています。どなたかモデルがいるんでしょうか?

:幼いころから親しくしていた年上の在日コリアン女性で、テレビレポーターをしていた人がいます。ユリと同じく本名で活動していました。アナウンサーやキャスターの世界でも、いまだに在日コリアンはいません。もしかしたらいるかもしれないけど、少なくとも本名では活動できていません。ユリがその世界に入ったのは1990年ですが、そのときから状況はまったく変わっていないし、在日コリアンはいまなお就職そのものがむずかしい。彼女のような人たちがちゃんと活躍できる世の中であってほしいですよね。

【次のページ】違う時代の在日コリアンを見てもらうことで、何かを感じてとってほしくて書き上げました。