『原宿ガール』から“アニメ×小説×ぜんハリ”プロジェクト、ファンクラブ発足まで、橋口いくよが全貌を語った!【前編】

芸能

公開日:2015/5/2

 2015年現在、数多あるアイドルアニメの中でも独自のテイストで “アイドル” が描かれ、好評を博したテレビアニメ『少年ハリウッド』。実はこの作品、 “アニメ×小説×ぜんハリ” プロジェクトのひとつ。アニメの放送こそ4月に終了したものの、登場するアイドルの少年ハリウッドはまだまだ活躍を続けていく予定だ。

 アニメの中の登場人物が、実際に活動するとはどういうことなのか? プロジェクト内に存在する「ぜんハリ」とは何なのか? 小説との関係は?

 様々な展開をみせる少ハリこと『少年ハリウッド』について、プロジェクトの最重要人物と言える作家の橋口いくよ氏に話を伺った。少年ハリウッドは、アニメという枠を超えて生きている。それは重々承知だが、少ハリ的言い方をすれば、時空を超え、彼らが生まれる場所であるグレーゾーン(つまり制作過程)に踏み込む「ねずみカラー」なスタンスでのインタビューを試みた。前編となる今回は『少ハリ』が生まれる前の話から――。
(※少ハリは、ねずみカラーのものを着用すると、グレーゾーンのお話が可能となるルールな為、橋口氏はその都度ねずみ色のものを着用していたことをここに記します)

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『原宿ガール』から始まった『少年ハリウッド』前史

アイドルを夢見ていた32歳のOLがスカウトされ、年齢を17歳だと偽ってアイドルとなってしまう『原宿ガール』。ダ・ヴィンチで橋口氏が連載したこの小説が、“アニメ×小説×ぜんハリ”の発端となった。

――まず『原宿ガール』を書かれた経緯を教えてください。

橋口:私が32歳の時に井の頭線のホームを出たところで、某アイドルグループのスカウトにあったんです。あり得ない事に17歳と間違えられて(笑)。これ、一見おもしろおかしさを装った若さ自慢とかじゃないんですよ。当時はむしろ困っていたぐらいで。私29歳の頃、親と行った温泉旅館で小学生に間違えられてクワガタもらったことあるんです。だからそういうことに慣れてはいました。ただ、スカウトされたあの時は、もやっとしたものが残って。ふと「あの時について行っていたら、どうなっていたんだろう。何処まで騙せたんだろう」と想像したことが始まりです。これがただの思いつきであれば、自分の中であそこまでリアリティをもって書けなかったと思います。「だって始まりは実際にあったことだし」という気持ちが最後まで力をくれました。

――『原宿ガール』は装丁もかなり個性的です。

橋口:グウェンステファニーの『Harajuku Girls』のジャケットの絵も担当している真珠子ちゃんがカバーや挿絵を描き、装丁は祖父江慎さんが担当してくださって、フォントや紙等、細部にまでこだわって作られた本当に贅沢なものです。そこまでこだわったんだからということで、帯の文章も作り込もうという話になって、当時の担当編集者の方が私のプロフィールを元アイドルというふうにフィクションにしました。ただ、プロの皆様のお仕事の完成度が高過ぎて、かなりの方が信じてしまったみたいで、今は行く先々で「違うんです。元アイドルではありません」と説明するはめに! アイドルというのは神聖なものなのに、ごめんなさいという気持ちが今はすごくあります。

――『原宿ガール』という物語が、どう『少年ハリウッド』につながったのでしょう?

橋口:舞台の会社さんが原作を探されていたことがきっかけです。でも『原宿ガール』をそのまま舞台にするとあまりにも生々しいと思ったんです。生身の人間がステージで演じるのは、観ているほうがしんどいんじゃないかなあと。設定をすべて男の子にしてしまえばコミカルなものになるのではと感じました。制作側の方も気を使ってくださって、それなら『原宿ガール』を原作にするよりも、原案ということで新たな作品を書いて欲しいと言ってくださいました。男の子なので、わけもなく大きな夢を抱けるようなタイトルがいいなあと思っていたら、原宿ガールと姉弟関係になれるような『少年ハリウッド』というタイトルがパッと浮かんだんです。最初はいくつか案をとも言われていたんですが、それ以外にないと直感してしまい決まりました。初めて舞台作品に関わらせて頂くのに、登場人物、キャラクター設定、脚本や作詞まで担当させていただけて、すごくありがたい経験でした。

――アニメ『少年ハリウッド』でも『原宿ガール』の主人公、高杉ちえりが登場します(第10話「ときめきミュージックルーム」)。彼らは同じ世界、同じ芸能界で活躍していると考えてよいのでしょうか。

橋口:チェリーちゃんが芸能界で活躍している時に、彼らと共演したのでしょう。そういう意味では、あの瞬間は同じ世界にいたのだと思います。よく、『少年ハリウッド』自体がいつの時代の話なのかという質問をいただくのですが、あえて時代設定はきちんとしていません。彼らが実在するためには、常にあらゆる時空を超えていかなければと思っています。実際はもうない原宿の歩道橋が、彼らの世界には存在したりしますし、伝説のホコ天が復活したり、流行のポップコーンが出てきたりもする。そこに細かく整合性を求めていくと、彼らの生きる時空が破綻します。ただし、彼らが動けば、時間が動きます。時間の流れというのは、そこにだけ存在するんです。リアルなカレンダーを当てはめると、彼らが生きられなくなりますから。彼らが我々のいる世界にいつでも降り立てる状況を準備しておくのが、我々の役目です。

――時間が動いてゆく。いわゆる“サザエさん時空”ではないと。

橋口:はい。そういう意味では、彼らの時間がこの先動けば、マッキーがもうすぐ20歳になってしまうので、少ハリには早く売れてもらわないと困ります(笑) もちろん20代のマッキーも魅力的だとは思うんですよ。でも、やっぱり10代のマッキーの魅力もたくさんの人に知って欲しいんです。アイドルとしては。

――先ほど話に出た舞台版『少ハリ』について伺ってもよろしいでしょうか。橋口さんは舞台について多くをお話になりませんが、その理由は?

橋口:ひとつは「そういう場がなかったから」というのが単純な理由です。舞台自体は、ありがたいことに再演までされました。私の書いた脚本はそこで役目を終えただけで、通常の舞台と同じ流れで終了しました。ですが、ある時期「橋口が舞台を捨て少ハリの権利を売って金儲けをした」という出所もわからない噂がtwitterなどで流れたことで、誤解が一部で生まれてしまったんです。もちろん、説明するまでもなく噂のような事実はないですし、私自身、その権利が何のことだかもわからない状況の中で、かなり辛辣なメールが次々に送られてきたことにも驚きました。私はこういう仕事なので、噂で何かを言われることは仕方がないと覚悟できたんですが、それを信じて傷ついている舞台ファンの方たちのことを思うと辛かったですね。なので、私が何か発言することで、舞台ファンの方たちをさらに傷つけてしまうのが嫌だったんです。ありもしない話について、わざわざコメントするというのも変な話ですし。舞台自体はすごく素敵な作品でした。私も大好きです。ただ、舞台はファンの皆様、制作に関わられた皆様のものですし、妙な噂のくっついた人間としては、好きな気持ちも表に出さないほうがいいんじゃないかと一時は思っていました。

――舞台、今振り返るとどうですか?

橋口:ただの文字から、役者さんやスタッフさんが世界観を広げて、作品に日に日に命を通わせていかれる姿が印象的でした。これはアニメも同じで、関係者の中の誰かがひとりでも欠ければ作品は今の形になっていない。私はネットなどで少ハリに関してあらゆる告知も普通にしていますが、それは「これだけ多くの人が関わった素晴らしいものを、みんなに観てもらいたい!」と思うからなんですよね。逆にひとりで書いた本等は、あまり「読んで読んで」となれないので、困っています(笑) 一緒に頑張ってくださる編集者の方や、関わられた出版社の為、と思うと「おっしゃ!」となるんですが、自分の為だけと思うと、とたんに消極的になってしまう。「俺の書いたものを読め!」ってなかなか言えなくないですか? 

「少年ハリウッドのメンバーは生きている」

『原宿ガール』を元に、まず舞台が誕生した『少年ハリウッド』。そこから小説、アニメへ展開するなかで、主役たるアイドル、少年ハリウッドを中心とする世界はさらにリアリティを増してゆく。

――小説『少年ハリウッド 完全版』は、アニメ『少年ハリウッド』の15年前の世界が描かれていますよね。

橋口:はい。つまり小説に登場する彼らは、現在、初代『少年ハリウッド』という立場になり先輩です。この小説に登場する人物たちが、一部舞台の時系列と同じです。この先輩達は今、小説を飛び出して大人になり、15年後の世界(アニメ)でも沢山登場します。ほんとにかっこいい素敵な先輩になっていて、みているといつも胸がじーんとなります。

――舞台をやっていたころ、すでにアニメ化の話はあったのでしょうか?

橋口:その当時はなかったです。舞台公演が終了してからけっこう経っていたという記憶があります。なので、少年ハリウッドはキラキラと輝いたまま永遠になったのだなと思っていました。お話を頂いたのは2012年の、小説『少年ハリウッド』が出た後だったと思います。小説を読まれたキングレコードの方から2012年の終わりぐらいにアニメ化の話を頂きました。

――そこから15年後の構想を練られたのでしょうか?

橋口:実は、アニメ化のお話自体もまだなかった頃、遠い未来に新生が登場するだろうなという感覚は私の中にありました。もしも、舞台に続きのお話が存在したら、そしてそのもっと先があったら、みんなが大人になったら……きっとこうなるだろうなという想像は色々していました。これは、色んな小説をこれまで書いてきた時にも働く心理で、もう癖みたいなものです。なので舞台の脚本を書いていた時から、ゴッド(柊剛人)が将来的にシャチョウのあとをつぐという流れは頭の中にありました。ゴッド誕生と同時っていうぐらいの速度で。悲しいことに、初代のシャチョウが他界することも浮かんでしまっていた。ただ、そういうことすべてがここまで形になるとは想像もしていなかったです。

――『少ハリ』の魅力はどこにあると思いますか?

橋口:一番は少ハリのメンバーが生きていることですね。べつに頭がおかしくなったわけではないですよ(笑)。新生少ハリのお話(アニメ)が始まった時は「なんじゃこりゃ」という人もたくさんいたというお話は伺っています。でも回を重ねるごとに彼らを好きになってくださる方々が増えていった。それって実際にアイドルを応援している時と似た感覚なんですよ。アイドルってデビューしたての頃は見る側も「これがアイドルなの?」と感じていたはずなのに、ふと「垢抜けたな」とか「こんなに魅力的だったっけ?」とか「自分だけが気づいちゃったのかも」とか、特別なものを感じて好きになってしまうことがある。ちょっと時間はかかるんですけど、体験してみるとわかるすごく素敵な経験なんです。『少年ハリウッド』はそれと同じような体験を必然的にできる作品だと今は感じています。ありがたいことに、回が進むごとに「生きてます!」というメッセージを頂くようになりました。そうやってファンの皆様の存在が、まぎれもなく彼らがそこにいる証明なっていったんです。彼らを生かしはじめたのは、魅力を授けたのはファンの皆様だという事実に、いまだ感動が続いています。

――アニメでは脚本、すべての楽曲の作詞、だけでなくシリーズ構成も担当されています。構成の段階で「彼らは生きている」という部分を、どこまで意図されていたのでしょうか?

橋口:すべてを狙って作ると絶対に破綻するのは目に見えているので、基本的に「私の意図」という意味で我を出すことはできません。出してしまうと、少なくとも私の中ではすごく違和感のある気色の悪いものになるんです。登場人物の意向ではなく、制作側の「こうしたいな」「こうさせよう」という個人的な自我が混ざってくると、本当にウッと具合が悪くなって吐き気がしてしまう。これはもう迷う隙のない決定的な感覚。おえっとなったら「あ、ダメ」というサインです。物語を書く時はすべて、その人物がどう動くのか、どう動くのが自然か。それを軸に、存在するであろう正解に向けて進めるだけですね。自分のしたいことは、作品の中ではしないです。

――少ハリは、楽曲数も多いですよね。しかも、多数の名曲、アイドルの楽曲もたくさん生み出していらっしゃる林哲司さんが参加されているのは、本当に豪華です。

橋口はい。楽曲製作陣の豪華さ、素敵さについては語り尽くせません。ほとんどの楽曲に関わられている林哲司さんとは、直接お会いして楽曲についての世界観も共有させていただいています。そうやって、一緒にお仕事をさせていただくなどおそれ多い私のようなもののことも信頼してくださり、仕事仲間として接してくださるし、とにかく本当に素敵な方。制作のスケジュールがハードになってきたりすると、励ましのメールをくださったりもします。林さんとのお仕事は私にとって、もう夢みたいな経験で、メールで作詞の感想が届いた瞬間などは、いまだに声を上げてしまいます。もはや生きてきたことへのご褒美の域。少ハリの楽曲は、皆さん本当に愛情を持って作っていらっしゃるし、どの曲もすごく誇らしいものだと思います。どうかたくさんの方に聴いて欲しいです! 
少年ハリウッドYou tubeエンディング映像

――アニメの中には、全編音楽番組(第10話「ときめきミュージックルーム」)やドラマ(第19話「渡り鳥コップSP ~水辺の警察学校番外編~」)など、珍しい表現のエピソードがありました。さきほど、意図はしていないとおっしゃっていましたが、あれも奇をてらったわけではないと?

橋口:ああいったエピソードもストーリーの流れで必要なので存在するだけなんです。それは、私の中でも、黒柳監督の中でも、共通認識としてあると感じています。確かにそのエピソードだけ観ると「何をしているんだろう?」と思われるかもしれませんが、前後の話や流れを観ている人なら理解できる、納得できるはずだと思っています。そうやって、皆様を信じることから一丸となってスタートしているんです。

――4月にアニメ『少年ハリウッド』の放送自体は終わりましたが、作業はひと段落したのでしょうか?

橋口:全然そんなことはないです。この2年くらい少ハリ漬けで、このプロジェクトがなくなったら無職になるんじゃないかと思うくらいの覚悟で、今もまだまだかかりっきりです(笑)。メディアミックスって言葉ももう古いのかもしれないけど、とにかくこれだけ色んなものが交差するものに対して、中途半端に関わるのが関係者に一番迷惑とストレスをかけると思うんです。関わるなら思いきり関わるか、完全にお預けするかのどちらかしかないんですよ。少ハリでは前者の立場をとりました。正直、これまでの自分の生活がなくなるほどの日々になるとまでは思いませんでしたが、ある意味少年ハリウッドライフが自分の日々になったと腹をくくってかかっています。

――そういった考えに至ったのはなぜでしょうか?

橋口:こだわるとこにはとことんこだわってしまう元々の性格ですかね。あと、私は福井晴敏さんの『亡国のイージス』で、初めてメディアミックスに関わる経験をしました。福井さんは本当に男気あふれる方で、細かい指示などは何もなく、自由にスピンオフを書かせて下さいました。その一方で、宣伝などのあらゆる方面でアイデアを出され、ご自分が表にでることもいとわず、作品に愛情と情熱を持って深く関わられています。福井さんの男らしい背中を見て、関わるなら徹底するという姿勢を学んだことは、今の『少年ハリウッド』にすごくいかされていると感じています。作家が顔を出して宣伝活動に関わる。これを好まない方がいらっしゃるのもわかっているんです。でも、申し訳ないけれど、ここは死活問題。今の時代、みんなの大切な作品を前に押し出していくには、使える手はすべて使って力をあわせなければならない。そして、作品というのは、ヒットしたらみなさんの手柄。当たらなかったら原作者のせいにすればいいと思うんです。それこそが作品を書いた後の原作者のほんとの仕事だと思っているし、その役目がある限り、やれることはすべてやって、全力で頑張らなければと思っています。

 今回はここまで。後編では、アニメ版『少年ハリウッド』だけでなく、『少年ハリウッド』という作品から生まれた少年ハリウッドのライバルアイドルのZEN THE HOLLYWOOD、ファン待望の少年ハリウッドのファンクラブ、さらに橋口氏自身のアイドル論に迫る。

文=ショコラ・バニラ 編集=はるのおと