[カープ小説]鯉心(こいごころ) 【第九話】神宮球場で飲むビールは世界一美味しいのかもしれない

スポーツ

2015/5/12

カープ小説

◆【第九話】神宮球場で飲むビールは世界一美味しいのかもしれない◆
 

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【あらすじ】
文芸誌『ミケ』のウェブサイトで、カープ女子を題材にした小説を連載することになったフリー編集者の美里。熱狂的カープファンのちさとに出会い、これまでの人生で縁のなかったプロ野球の世界に入り込んで行く。2015年カープと共に戦うアラサー女子たちの未来は果たして…?

「お待たせしましたー!」

神宮球場の入り口に立っていた美里の前に、ちさとが小走りでやってきた。

「これ、今日のチケットです」
「うん、ありがとう」
「あ、ゲートはあっちです!」

5月1日、金曜日。東京には初夏の青空が広がり、日中の気温は27度まで上がった。二人とも半袖のTシャツを着て、美里は白いジーンズ、ちさとは白いスカートを履いている。ちさとのバッグからは赤いユニフォームがチラリと見える。

スワローズとカープの三連戦初戦が行われるこの日は、美里にとって記念すべき(?)人生初のプロ野球観戦だ。

一週間前、ちさとに「チケットが一枚余ってるんですけど、よかったら」と誘われ、一緒に行くことにした。自分が野球場に行くことには正直まだ抵抗があったが、とはいえプロ野球を題材に小説を書いている以上、一度も行かないというわけにはいくまい。どうせ誘われでもしなければ行かないのだろうし、この機に行ってみることにした。

「東京にカープファンって、こんなにいるんだねえ…」
カープのユニフォームを来た人々が続々と球場に入っていく様子に少したじろぎながら、美里は言った。

「1ヶ月ぶりに関東でのカープ戦なので、この三連戦はチケット完売なんですよ。数年前は考えられなかったんですけどねー」

慣れた足取りでゲートまで歩いていくちさとに、美里がついていく。セキュリティチェックを済ませて場内に入ると、コンコースの売店には早くも行列ができている。

通路を抜けてスタンドに出たところで、美里は足を止めた。

視界がパッと開けた途端、目前に広がる緑のグラウンド。
頭上に広がる初夏の夕空。
オレンジ色の西日に照らされた、場外に立ち並ぶ都心のビル群。

「きれい…」
美里は思わず声を漏らした。

「みさとさーん」

美里がハッと我に返り左を向くと、ちさとが笑顔で「こっちこっち」と手招きしていた。

二人は三塁側の内野席上段に座り、しばらく黙ってグラウンドを眺めた。選手たちがウォームアップをする中、スタンドにはどんどん人が増えていく。バックスクリーンでは今後の試合スケジュールやイベント情報が告知され、やがて今日のスターティングラインナップがアナウンスされた。

「美里さん、ビール飲めましたっけ?」
ちさとが唐突に言った。いつの間にか、Tシャツの上から15番のユニフォームを羽織っている。

「あ、うん。あんまり飲まないけど、一杯くらいなら」
「じゃあ、私一杯おごります!」
「え、そんな、いいよいいよ」
「いいんです、今日は私が誘いましたから! 私、神宮球場で飲むビールが世界一美味しいと思ってるんですよ。ちょうど今くらいの季節が最高なんです」
「そ、そっか… うん、ありがとう。じゃあ一杯だけ」
「はい、もちろん! あ、すいませーん!」

ちさとは通りがかったビールの売り子を呼び止め、ビールを二杯注文した。

「それでは、美里さんの人生初のプロ野球観戦にかんぱーい!」

二人が乾杯して間もなく、試合がはじまった。

試合は序盤からヤクルトのペースで進んだ。カープ先発の黒田博樹がまさかの乱調で、3回までに5失点。レフトスタンドからは、溜め息のような悲鳴のような声が度々漏れる。ちさとも美里の隣でひとり「よし!」とか「あー…」とか声を出しながら、一喜一憂していた。

「あれー? ちさとちゃん?」

4回表のカープの攻撃中、斜め右後ろから突然男の人の声がした。
振り返ると男性が二人、こちらを向いて立っていた。

「あー佐藤さん! お久しぶりです!」
ちさとが笑顔で返事をした。

「今着いたんだけどさあ、5対0ってどういうこっちゃ… あ、これ、うちのお客さん」
「そうなんですねぇ!はじめまして」

佐藤という男は、どうやらちさとの知り合いらしい。年齢は40くらいだろうか。

「お友達もカープファン?」
佐藤が美里の方を見ながら言った。

「あ、いえ、私はあの…」
「編集者の美里さんです。美里さんは今、カープ女子の小説を書いてるんですよ」

少し答えに困った美里の横から、ちさとがすかさず言った。

「へえー、カープ女子の小説かあ。じゃあお姉さんは、カープファンのファンですね! ハハハ」

美里はまた少し反応に困って、苦笑いを浮かべた。

「あれ、二人とも飲んでる?」
佐藤がわざとらしく聞いた。

「飲んでますよー。今日は暑かったからもう喉がカラカラで」
「ちさとちゃんはいつも喉乾いてるじゃない」
「もー、おじさん扱いしないで下さいー」
「すいませーん! 生4つ!」

佐藤がビールの売り子を呼び止め、1000円札を3枚渡した。

「あ、あの…」

美里は少し言いかけて、手元の紙コップが空になっていることに気付き言葉を止めた。少し恥ずかしそうな顔をした美里に、ちさとがビールを手渡した。

「あ、すみません… ありがとうございます」
少し申し訳なさそうに、美里はお礼を言った。

「いいのいいの! それじゃ、カンパーイ!」

4人は乾杯して、それぞれ顔をフィールドの方へと向けた。美里は慣れないシチュエーションに戸惑い、少しバツの悪そうな顔をした。

「佐藤さん、美里さんが綺麗だからちょっと浮かれてるんですよー」
少し頬を赤らめたちさとが、美里の耳元で悪戯っぽく囁いた。

「佐藤さんは20歳のときに広島から東京に出てきて、それからずっとお好み焼き屋さんやってるんですよ。よくお客さん連れて球場にも来て」
「へー、そうなんだあ」
「球場で会うといつもビール奢ってもらっちゃって。まあ、若い女の子と一緒にお酒飲めるのがきっと嬉しいんですよ。といっても私たち、アラサーですけどねっ」

コソコソと話すちさとの口から「アラサー」という言葉が出てきたのが何だかおかしくて、美里はクスッと笑った。

「でも佐藤さん、もう30年来のカープファンで、凄いんですよ。昔のカープの話とか何でも教えてくれるし、一時期は応援団とかもやってて…」

突然、レフトスタンドから大歓声が沸き起こり、ちさとの話し声が途切れた。次の瞬間、ついさっきまで美里の耳元でコソコソ話していたちさとが一転して高い声で叫んだ。

「やったー!!!」

美里はしばらく何が起こったのかわからなかったが、どうやら誰かカープの選手がホームランを打ったらしい。後ろを向くと佐藤たちも立ち上がって、周りのファンとハイタッチしていた。つい先ほどまで静まりかえっていた真っ赤なレフトスタンドでは、みな立ち上がって応援歌を合唱している。

「きょーぉも かぁーぷは かーち かーち かっちかち!」
「ばんざーい、ばんざーい、ばんざーい!」

お祭り騒ぎは苦手な美里だが、応援団のラッパと観客の声援が入り交じった球場の喧騒は不思議と心地よかった。珍しく二杯目のビールを飲んで、少し酔いが回っているのかもしれない。誰も自分のことを知らない外国の街を歩いていたら、たまたまお祭りがはじまったような、そんな気分。

生まれ育った東京のど真ん中に、私の知らない東京があった。
神宮球場で飲むビールは確かに、世界一美味しいのかもしれない。

美里は少し熱くなった顔を上げて、球場の照明に照らされた夜空を見つめた。

(第十話につづく)

イラスト=モーセル

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【第一話】「ちさとちゃん、何でカープ好きなの?」
【第二話】「か、カープ女子…?」
【第三話】「いざ、広島へ出陣!」
【第四話】「生まれてはじめてプロ野球の試合をちゃんと見た記念日」
【第五話】「カープファンは負け試合の多い人生ですから…」
【第六話】「私も小説書きたかったんだよねえ。若いころ」
【第七話】 私たちカープファンにできること
【第八話】「好きとか嫌いとか、にじみ出るものだから」