「切腹」すればいいのか? 『ゴルゴ13』のリイド社が手掛けた『葉隠物語』から読み解く「武士道」とは?

マンガ

公開日:2015/5/25

 「葉隠」といえば武士道を説く古典中の古典。だが、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という文言が第2次世界大戦時に悪用されたなんて話もあり、なんだかとっつきにくいものと感じていた。引用語句を取り上げた本がビジネス書や自己啓発書の棚にずらりと並び、どうも人生終わりかけた年配のおじさんたちが人生を振り返るために読むもの、という印象を拭えなかったのだ。“引き際は美しい”に越したことはないが、そもそも死んで責任が取れるのか…。

 しかし、このコミック『葉隠物語』(藤原芳秀:作画、安部龍太郎:原作/リイド社)が、私の「葉隠」感を変えた。「葉隠」のありのままの内容はもっとシンプルで、私たちの日常生活にも当てはまることなのではないか。原作者の安部龍太郎氏も、それを伝えようとなさったのでは。

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 「葉隠」の筆録者とされる田代陣基(たしろつらもと)が死ぬ前に一度会ってみたかった藩きっての曲者(ここでは命知らずの剛胆な人物という意味)山本常朝の庵を訪ねるところから序章が始まります。切腹を命じられた友をかばい停職になってしまった陣基は、抗議のために自分も切腹を覚悟。それしか武士の一分を立てる道はないと言うのだ。一方で、常朝は「それでは逃げているばかりで一分を立てたことにはならぬ」と指摘。友の介錯をし、つまり切腹後に首を落としてとどめを刺す、つまりは、楽にしてやる役を務めるということだが、さらにその位牌を抱いて切腹を命じた重役の家に切り込めと物騒なことを言いだす。たしかにただ一人で切腹してもなんの問題提起にもならない。「武士道」とはなにか、諭された陣基は「己の未熟に気づいたからにはうかうかと死んでなぞおれませぬ」と常朝に弟子として仕えることを誓う。
現代社会にみる「辞めてお詫びを」「頭を丸めてお詫びを」といった観念に疑問がわく。

 常朝が語るエピソードを陣基が書き留めたものが「葉隠」だが、その登場人物もまた生き生きと描かれている。『拳児』『闇のイージス』の藤原芳秀氏の画風がテーマによく合っているのだ。藤原氏は、『男組』『クライング フリーマン』などで知られる漫画家・池上遼一氏のアシスタントだった方。かなりしっかりした劇画タッチで、腹筋のシックスパックがはっきりわかる立体感ある男性を描く。もともとアクションや格闘系作品を描いていた方なのでテンポもいい。原作を生かしたネームの多さだが、コミックとしてまったく違和感なく読み進められるのだ。戦装束や合戦の地形など時代考証も入念にされているよう。歴史・自己啓発・面白さがいい感じにブレンドされ、老若男女読みやすい「葉隠」となった『葉隠物語』第1巻をぜひ読んでほしい。続刊も楽しみだ。

文=遠藤京子

『葉隠物語』(藤原芳秀:作画、安部龍太郎:原作/リイド社)

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