ショッピング、ムダ毛処理、妻の目、痴漢遭遇… 1年間女装して過ごしたドイツ人男性が経験したこと

暮らし

公開日:2015/5/29

 男には制約が多い。男は泣いてはいけない、男は強くなくてはいけない、男は優しくなくてはいけない、男は……(以下色々)。最近はこうしたマッチョで旧態依然としたイメージや考え方は少なくなってきたと思うが、ビジネスの現場など男社会が残っているところはまだまだ多い。

 しかしどんな男性にも、心の中には小さな女性がいるものだ。それを開放しようとする動きが、最近話題になった男性用ブラジャーや、週末に女装するといったことだろう。しかしそれをはるかに超える実験をしたドイツ人男性がいた。冬になると風邪をよくひくことから、足の冷え防止の為にストッキングを履いた(股引だと暑すぎて汗をかいてしまうそうだ)ことから、1年間女装して生活を送った日々を記録した『女装して、一年間暮らしてみました。』(クリスチャン・ザイデル:著 長谷川圭:訳/サンマーク出版)だ。

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 このザイデル氏は女性と結婚しているドイツ人男性で、これまでジャーナリストやプロデューサーなど様々な分野で成功してきた人だ。そしてもともと女装の趣味があったわけでも、女装することで性的に興奮するタイプでもなく、またゲイでも性同一性障害でもない。ザイデル氏は心の中の女性の声に従って女装を始めたそうだが、それは性別を超えようとするのではなく、凝り固まった男のイメージにとらわれたくなかったからだと語っている。

 ストッキングから始まった女装は、次にシリコン製のおっぱいを装着してブラジャーを着け、かつらをかぶってハイヒールを履き、婦人服を着てメイクをして、やがてクリスチャンからクリスチアーネという女性になっていく。それまで嫌いだったショッピングが好きになり、ムダ毛の処理をして、女性の集まりに参加し、男性の浮気や女性のオーガズムなどについて赤裸々な話をする。もちろんいいことばかりではない。妻には疑念を抱かれ、古くからの友人にも理解されず、離れてしまった人もいる。さらには心ないひと言を浴びせられたり、痴漢に遭ったり、好奇の目で見られたり、お金で買われそうになったり、あわやレイプされそうになるという経験までするのだ。女性が普段からこうした嫌な体験をしたり、危険にさらされているということは、男性はほとんど意識したことがないだろう。

 男のイメージは「何があっても壊されてはいけないもの」だというザイデル氏。そしてそのイメージに疑問を抱くことすら許されず、男たちは自分たちの社会こそが最高だと信じ、他と交流をしない自閉的な集団になっていて、それが自分たちの発展の邪魔になっていると気づきもしていないという。本書を読むと、男のイメージとはなんと面倒臭く滑稽なことが多いのだろう、ということに改めて気づかされる。

 なにも女装までしなくても、と思う人がいるかもしれない。しかしザイデル氏は社会的成功者として抱えていたものが大きかったため、こうした「女装をして一年間過ごす」という振り切ったやり方でないと男としての鎧を下ろすことができなかったのだと思う。そんな思い切った方法によって男性としての役割から開放されたザイデル氏が最終的にどう感じたのかは、本書でぜひ確認して欲しい。ドキュメンタリーというよりも、まるである男性の告白を綴った小説を読んだような充実した読後感だった。

 「ゆとり」「さとり」「つくし」世代と言われ、草食だ、いやいや絶食だ、欲がない、弱くなった、最近の若いヤツはなどと(一部のおじさんたちに)カテゴライズされ続ける日本の若者たちだが、彼らはすでに男性的な社会の珍妙さに気づき、女装することなく新たな考え方を手に入れているのかもしれない。そうした点からも、本書は暗い色のスーツばかり着ているおじさんたちに特に読んでもらいたい。経年変化とホモソーシャルな社会の中でコチコチに凝り固まった考え方を、クリスチアーネが柔らかくしてくれることだろう。

文=成田全(ナリタタモツ)