<ふわふわのタオル>のような分かりやすい文章がひとつの仮想敵―武田砂鉄インタビュー

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/20

「あなたはイヌ派? ネコ派?」と訊かれたら、ライターの武田砂鉄さんは「別にどっちも好きじゃない」と答えるという。なぜそのふたつの選択肢しかないのか? カメではダメなのか? 生き物全般がニガテという回答はありえるのか? 「憲法改正に賛成か? 反対か?」と問われたときでも、「僕個人としては反対しますが、賛成 or 反対のどちらかに即答を迫ってくる働きかけには総じて慎重になるべき」という。そもそも憲法ってどんなものだっけ? ほかの国ではどうなっているの? 憲法にまったく頼らない生き方はあるのだろうか? 「もっといえば、いったん、憲法の話を止めてテニスしに行こうぜ、でもいいと思うんです。その後でまたじっくりと考える。それすら選択肢に含めていくべきだと思っています。考えもせず勢い任せの二者択一で即答してしまうのが一番危うい」と武田さん。

武田さんが、自身初の著書となる『紋切型社会―言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社)で試みているのは、このように〈提案された選択肢を外す方法〉だ。多様化だダイバーシティだと声高に叫ばれながらも、現実には〈紋切型〉な言葉があふれている。それが投じられることで人は選択肢を狭められ、物事のスケールが矮小化される。本書ではその例として「ニッポンには夢の力が必要だ」「若い人は、本当の貧しさを知らない」「逆にこちらが励まされました」など20のフレーズを収録し、それらによって凝り固まった社会を武田さんがほぐしていく。

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武田砂鉄さん(以下、武)「凝り固まった社会というのは、政治などの社会問題だけを指すわけでなく、身近な生活のあちこちで感じられるものです。たとえば、昼時の情報番組、ファッションコーディネート企画ではどんな服も“この色、今年の流行なんです”“今年はこのスカート丈がブームです”と連呼されます。なんでもかんでも“今年の流行”でくくってしまうほど、ファッションをつまらなくすることはないですよね。本書からも例を挙げましょう。結婚式で花嫁から親に贈る手紙にありがちな“育ててくれてありがとう”という言葉。『ゼクシィ』のサイトに掲載されている手紙のサンプル文面では、両親に大切に育てられた花嫁だけが想定されています。たとえばどちらかの親を亡くした人も、親との関係がこじれている人も、あたかも存在していないかのようです。こんなふうに、規定された言葉によって何かが弾かれ、見えなくなっていることって様々な場面にありますよね」

20のフレーズを見ていると、男性的な言葉だという印象を受ける。

「僕は女性の問題を語ることが多いのですが、女性の味方をしようと意識しているわけではありません。ただ、一方に社会からこぼれてしまった人や強い力で押し切られる人がいて、もう一方でそうした存在を作りながら権限を維持し続けている人がいる社会事象を見たときに、後者は男性が中心となって組織されている場合がほとんどです。人と社会を権威じみた言葉で拘束し、『そうはいっても男は』というフレーズで万事解決しようとしてくる人たちです」

私たちは毎日、ものすごい量の言葉を浴びて生活している。家族や友人、職場の人と交わされる会話、新聞や雑誌、webサイトの記事、テレビをつければニュースにドラマにバラエティ番組……。紋切型なフレーズはどこに多いのだろうか?

「特にどのメディアの言葉が、という犯人探しをしたいわけではないんです。“ネットの言葉が乱れていて……”とはよく聞きますが、では雑誌の言葉はどうなのか。女性問題を考えたらネットよりも、一部の雑誌のほうがよほど悪辣な言葉を並べています。以前、編集者をしていましたが、そのころから、多くの社会評論で、視点が定まりすぎではないかと感じていました。書き手が哲学者なら哲学的視点に終始し、アイドル好きの論者はアイドルから社会を見渡そうとする。でも、実際には政治家の言葉から作家が記した言葉、アイドルの言葉、もっというと、帰宅途中の小学生や、喫茶店でおばちゃんたちが話している言葉まで、すべて混ぜこぜにしないと社会評論や現代批評は成り立たないと考えています。議論に値する言葉を自分の好みで選び、それだけを議論していると、言葉が限られるばかりです。本書で〈言葉〉を評論する際にこだわったのは、きちっとした言葉も、そのへんに転がっているラフな言葉もすべてひっくるめて書くということです」

【次のページ】『この文章、わかりやすいですよね? ふわふわのタオルみたいに心地いいですよね?』と媚びてくる文は好きではありません。