<ふわふわのタオル>のような分かりやすい文章がひとつの仮想敵―武田砂鉄インタビュー

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/20

撮影:宇佐巴史

武田さんはその編集者時代から、〈ふわふわのタオル〉のような文章をひとつの仮想敵としていたという。それは「ほぼ日」の対談記事に代表されるような、やたら改行が多く、相手が何かをいうたびに「なるほど。わかりやすいです」と承認をくり返す文。これもまた、紋切型社会につながっている。同サイトを主宰する糸井重里自身の「読者サイドが“あなたのわかりにくさに、つきあっていられません”と思い始めたのだろう」という考察にも、武田さんは「読み手は、書き手に食らいついていくことをそんなに簡単に諦めていないはず」とツッコむ。

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「あるノンフィクション作家に、“読書というのは自分に負荷をかける行為だ”といわれたことがあります。気持ちよくなるために本を読むんじゃなくて、自分にプレッシャーをかけながら読むことこそ、読書の楽しみである、と。だから、僕は“この文章、わかりやすいですよね? ふわふわのタオルみたいに心地いいですよね?”と媚びてくる文は好きではありません。でもネットに原稿が掲載されると“分かりにくい”“長ぇよ”といわれるんですよね。それを見越して編集者からも“もうちょっと改行を増やしませんか?”“強調の太字にしませんか?”と提案されます。でも、文章が長いから短くする、見やすく太字にアレンジする、というのは、読んで下さる方を舐めているのではないか、とも感じるんです」

武田さんの言葉に、ふと気づく。そうした〈わかりやすさ〉を求めている私たちもまた、紋切型社会を作っている一員なのではないか。そして、それを自覚している人はとても少ない。

「凝り固まった社会を解きほぐす作業は、個人個人でできるものです。“イヌ派 or ネコ派”“憲法改正賛成 or 反対”のような問いかけは、身近にあふれています。ネットの記事でも“あなたはこのニュースに賛成か? 反対か?”をクリックで選ばせるものをよく見かけます。どちらかを選ぶと、心地いいでしょう。2択ならば同じ意見の人が必ずたくさんいてくれますから。でも賛成派と反対派は、お互いに交わることのないまま、それぞれの言葉だけがどんどん積み重なっていきます。そこにいるかぎり視界は変わらなくて、目に入るのは同じ派の言葉ばかり。その選択肢から引いて見るだけでも、解きほぐす手がかりは得られます。いろんな考えを混ぜあわせる方法を考えるべきです。なんでどっちかを選ばなきゃなんないの? というところから疑っていくべきです。だって、せっかくひとりひとりが考えを持っているのに、相手から出された選択肢で考えが狭められるのって勿体ないじゃないですか」

ここで、武田砂鉄という書き手を知ったときから抱いていた疑問を本人に投げかけることにする。武田さんはなぜ〈ライター〉を名乗りつづけるのか? 同じくライターを稼業としている筆者がいうものナンだが、この肩書にはどうしても〈下請け感〉があり、社会を論評するには卑近すぎるイメージがある。

「たしかに、ライターにはそんなイメージがありますね。でも詩人の谷川俊太郎さんですらご自分の仕事を“受注産業”とおっしゃっているんだから、当然僕なんて受注産業です。ライターというポジションに〈下請け感〉があると思っていませんが、あるならあるで構わない。ならば“下”から、凝り固まらせている“上”に向かってモノを言えばいい。“上”というのは、選択肢を隠します。今の政治を見ていれば分かりますが、多様な意見が出てくると自分たちの思うとおりに動かなくなるからイヤなんです。選択肢は3つより2つがいいし、2つより1つがいいというのが彼らの論理なので、そこに対してほかの言葉を投じ続けるのが、下っ端の役割だと思っています」

本書では、日本を「情熱大陸化」させるフレーズとして、「あなたにとって、演じるとは?」が収録されている。これに一言で回答できるイイ言葉ばかりがあふれる社会では、そこからこぼれ落ち、見えなくなる言葉がどうしても出てくる。でも、あえて訊いてみよう。武田さんにとって書くこととは?

「“生きることです”とかクールに言い残して、雑踏の中に消えていければいいんですけどねぇ。そういう設問に気持ちよく答えられる書き手にはならないようにしたいです。簡単なQ&Aにも時間をかけて、1フレーズに対して150フレーズで返す面倒くさい人間でいたい。書くっていうのはそれができるから面白いんですよ。何かいわれたとしてもグズグズジワジワ、いろんなことを考えながらじっくりと表に出していけるのが、書くという表現ではないでしょうか」

取材・文=三浦ゆえ