中村文則最新作は狂気に満ちた警察小説、“無意識の悪”が引き起こす連続殺人事件とは

文芸・カルチャー

2015/6/5

人間が一番に信じている「宗教」は自分自身だ。プライドとエゴの中で、自分が正しいと思うこと、大切にしたいことを重んじて、私たちは生きている。だが、人は万能ではない。強く信じていたはずのものが揺らげば、人はたやすく狂気へと傾いてしまう。

『去年の冬、きみと別れ』『教団X』などの著作で知られる中村文則氏の『あなたが消えた夜に』(毎日新聞出版)は、人間の存在を根底から揺さぶる狂気のミステリーだ。昨年、『掏摸』でアメリカの文学賞「デイヴィッド・グーディス賞」を日本人で初めて受賞するなど、世界でも注目を浴びている中村氏は、本作でも、人の抱える「弱さ」や「心の闇」に迫る。人間はなんとエゴに満ち溢れているものだろう。人々の思惑が絡み合った事件は複雑に、かつ、大胆に進んでいく。

舞台は、ある郊外の町。所轄の若手刑事・中島は、捜査一課の女刑事・小橋とコンビを組み、連続通り魔事件の捜査を進める。複数の人間が包丁で刺され、目撃証言によって捜査線上に「コートの男」が浮かび上がった。しかし、模倣犯が各地に現れ、捜査は混乱する。この事件の犯人は一体何者なのか。誰が何のために人を殺すのだろうか。

中村氏ほど巧みに人間の抱える闇を描く作家は他にいないだろう。この物語の登場人物たちはそれぞれに闇を抱え、無意識下での自分の行動に恐れを抱いている。主人公の所轄の刑事・中島ですら、幼い頃に自宅が同級生によって放火された過去に悩まされている。あの放火を唆したのは自分自身ではなかっただろうか。自分では意識できない無意識のところに、もしかしたら、人は誰でもドロドロとした暗い思いを隠し持っているのかもしれない。意識的に自分がとる行動と、無意識に自分がとる行動。「心のどこかで、僕は事件を望んでしまっている」。自分自身に向き合えない彼は、事件が起きた時ほど活き活きとし、何も起こらない時ほど、苦しんでいく。

停滞した雰囲気の漂う捜査現場の中で事件に果敢に立ち向かっていく中島と小橋は名コンビといってもいいだろう。聞き込み中にパフェを食べるなど能天気な行動をとる小橋にツッコミを入れる中島の掛け合いは漫才を見ているようで思わず笑ってしまう。

しかし、この事件はあまりにも複雑だ。死者が続出し、事件の重要なカギを握っている人物も死亡…。中島たちは根気強く捜査を進めるにつれて、事件の背景には、翻弄される男女の運命があることに気づいていく。

人は、完璧になるために、誰かと寄り添おうとしているのではない。誰かと欠点を認め合って、より不完全になることに、安らぎを見出そうとしているのではないか。だが、この物語の登場人物たちは、誰かを思い、寄り添い、時にかばおうとすることで、返って狂気の渦に飲み込まれていく。しかし、狂気でない愛などあるのだろうか。不器用にしか人を愛せない人間たちの悲しみがこの物語からは滲み出ている。

本作は、作家デビュー13年の中村氏初の警察小説であるが、警察小説の枠を超越した作品。模倣が模倣を呼ぶ複雑な事件を解き明かしていくミステリー的な要素はもちろんのこと、人の真理に深く切り込む純文学的な側面もあれば、2人の刑事の掛け合いを楽しむエンターテインメント的側面もある。ジャンルの壁を取っ払い、大胆かつ緻密に進んでいくストーリーは読むものの心を奪い、驚嘆の渦の中に連れていく。人間の抱える闇。悪。今、一番注目すべきミステリーはこの作品だ。

文=アサトーミナミ

あなたが消えた夜に』(中村文則/毎日新聞出版)