「教科書通りにはいかないこと」を学ぶ教科書、それが『猫語の教科書』!

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/20

教科書との関係性は、学生時代と、大人になってからとでは、大きく変わります。社会人になってしばらく経つと、時間や金銭といった種々の制約から解放され、自らの興味の赴くままに、教科書は「選べる」ものになります。それは、学生時代の「与えられる」ものとは異なるわけです。書店に入り、仕事の必要に迫られて、もしくは自らの内なる欲求にもとづいて、学びたい気持ちにしたがって、教科書を手に取るとき、私も含め大切なことを忘れているのであります。

国語から始まり、英語、ドイツ語、中国語…、何年にもわたり数々の「語学の教科書」を触れてきました。だから、誰もが知っているはずなのです。「教科書だけでは、語学は習得できない」と。教科書だけで理解できるようになった、という人も皆無ではありませんが、それはきっと「教科書がなくても理解できた」のであって、教科書はきっかけにすぎないのであります。

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この『猫語の教科書-共に暮らすためのやさしい提案』(野澤延行/池田書店)は、そのことをしっかりと思い出させてくれます。親切にも、本文に入る前、カバー袖のところにハッキリと記されています。

「猫語」とは
身ぶりや行動、鳴き声によるネコの表現手段のことで、ネコという相棒を理解するためのヒントとなります。ネコを知るのはけっして簡単なことではありません。まさに「教科書通りにはいかない」ことを体験することが、猫語を知るための第一歩となるでしょう。

この本で学ぶ「猫語」は、ボディーランゲージとは違います。人間同士のボディーランゲージは「この人には伝わらないから、身ぶり手ぶりを交えて伝える」ものですが、猫語はさしずめ「どうして、あの図体がでかくて毛づくろいも自分でできない奴は、これだけやっても感づかないのか」という程度のもののはずで、コミュニケーション上の必要に迫られて発せられるものではないのです。つまり、猫語の不自由な人間が、猫に対して心を寄り添わせないと理解できません。

教科書と銘打った本に「教科書通りにはいかない」とあるのは、そういうこと。この教科書は読むものであると同時に、猫の気持ちを知るべく、「猫語」を語る気持ちを追体験する実践の書なのです。

文=猫ジャーナル
※写真はすべて本書より