容姿は関係ない? 「オタサーの姫」に必要なものとは

社会

公開日:2015/6/14

 もう一つ、「オタサーの姫」と混同されがちな言葉として「サークルクラッシャー(サークラ)」も本書で取り上げられている。自称元サークラだという鶉まどか氏によると、「オタサーの姫」は自己肯定感が高くアイドルのような存在であり、「サークラ」は自己肯定感が低くキャバ嬢のような存在、だという。

「自分が変わらなくても、ありのままの姿で男のコたちにちやほやされるのが“オタサーの姫”です。だから、髪がボサボサだったり、服がダサかったりしてもいいんです。でも“サークラ”は、コミュニティの中で好かれよう・愛されようと努力するんですよ。(中略)その結果として複数の男性から好意を寄せられるのが、わたしのような“サークラ”なんです」
(p102 鶉まどか氏の発言)

 補足すると、「オタサーの姫」はオタサーに入った途端に女性が少ないという理由だけでちやほやされ、それを何の疑問もなく受動的に受け入れる屈託の無さがあり、「サークラ」は好かれる行為を自ら提供し、その自己肯定感の低さを能動的に埋めようとしているのではないだろうか。

 元サークラの鶉まどか氏は、こうも発言している。

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「わたしがしてきたことが、そんなにおかしいでしょうか。だって、好かれたいって思って、好かれるために行動するのは、当たり前でしょ」
(p117 鶉まどか氏の発言)

 オタサーの姫、サークラに共通するのは、“救済を求めている点”である。本書にはほかにも、「れい様をちやほやするオフ」をやっていたオタサーの姫、ちやほやされたいという動機からメイド喫茶で働いていたオタサーの姫なんかが登場する。

 オタサーの姫やサークラというポジションは、人生で序列の低い位置にいた女の子が、オタサーに入ることで高い位置に行けて、心の傷を癒す救済措置なのだ。誰だって好かれたい。誰だってちやほやされたい。そう願うことの何が悪いのだろう。世の中に序列がある限り、オタサーの姫はきっといなくならない。

文=朝井麻由美