日本で好まれる謝罪表現の3つのポイントとは ―心理学者が教える「戦略的な謝罪」の極意

ビジネス

公開日:2015/6/15

 日本人はとても謝罪好きな人種である。人に声をかける時に「すみません」と言ったり、筆者などは満員電車内で足を踏まれても「ごめんなさい」と謝ってしまうことがある(もはや口癖か?)。テレビには毎日のように事件や事故、政治家の失言、企業の不祥事など、謝罪する人たちが映し出されているが、これが欧米人なら責任の所在が自分にあると決定するまでは謝罪しない、となることが多い。もし本当に自分には一切の非がなかったとしても、日本で一言の謝りの言葉もなく最初から正当性を主張してしまえば、「図々しい」「誠意がない」「被害者をバカにしているのか!」などと、関係ない人たちからも非難される事態になりかねない。そうなると、将来的に自分に不利益をもたらすことになってしまうだろう。

謝罪は戦略的で高度なコミュニケーション

 社会心理学の中でも、特に人間の攻撃性と紛争解決の心理解析を専門とする大渕憲一氏の著書『失敗しない謝り方』(CCCメディアハウス)によると、日本人が頻繁に謝罪するのは、謝罪に状況を逆転させる効果があるからだという。しかし実際には、謝罪をしたのに許してもらえなかったり、自分の立場をさらに悪化させてしまうこともある。これは社会心理学の観点から言うと、「謝罪」は「釈明」のひとつのパターンであり、ほかにも「否認」「正当化」「弁解」というパターンがあるため、それらの使い分けを間違っているからだという。

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 同著の表紙に書かれた文章の一部に「謝罪が有利にはたらくと期待していることが相手に気付かれれば、その効用はなくなってしまう。つまり、謝罪は、戦略的でありながら、非戦略的と思われることが大切という高度なコミュニケーションなのである」とあるが、そうだとすると、正しい謝罪とはどんなものなのだろうか。

戦略的に組み立てた「完全な謝罪」とは

 同著によると、「謝罪」は自分の非を認めるもの、「否認」「正当化」「弁解」は責任を回避するものであるという。それらを最適に組み合わせて釈明することができれば、罰を回避(軽減)したり、信頼を回復したりすることが可能というわけだ。そして、日本人は特に「金銭的な弁償」よりも、「悔恨を含む謝罪」を強く求める傾向があるため、釈明の中にはまず「謝罪」を取り入れることが肝心なのだという。以下に同著から、公式の場でしばしば用いられるという“最も丁寧な”「完全な謝罪」の一例を紹介してみたい。

「確かに、それは私の担当でした」(負事象への関与)
「本当に、不注意でした」(行為の不当性)
「私の責任です」(責任)
「申し訳ないことをしました」(悔恨)
「ご迷惑をかけた方々には、大変気の毒に思います」(労り)
「これからは十分に気を付けます」(改善の誓い)
「どうか、許していただけないでしょうか」(許しを乞う)

 確かに、これらの要素をすべて含んでいれば、非の打ちどころのない謝罪である。しかし、一般的な場所で使うにはややくどく、慇懃無礼な印象も受ける。そこで、「一般的にみて好ましいと思われる典型的な謝罪」はというと以下になるそうだ。

「私の担当でしたが(関与)、確かに不注意でした(行為の不当性)。申し訳ないことをしたと思っています(悔恨)。これからは気を付けます(改善の誓い)」

 こうすると、責任を認めた上で後悔の意を表し、今後の改善を示しているので、被害者も納得がいくだろう。

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