エジソンに騙され、ゴシップに見舞われ…、歴史の“闇”に消された偉人ニコラ・テスラの生涯

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更新日:2015/6/23

 現代社会にあるほぼ全てのモノは、偉大な先人たちの発明により生み出された。そして、時代を超えてもその名は語り継がれ、電話を作ったグラハム・ベル、電球や直流による電力システムを生み出したトーマス・エジソンなど、世界中で知られる発明家は数多く存在する。

 しかし、その一方。数多くの功績を上げながらも、マッドサイエンティストのレッテルを貼られ、歴史から名前を消された発明家がいた。1856年、クロアチアで生を受けたニコラ・テスラである。日本ではおそらく、耳にしたことがある人は少ない。ただ、彼の発明は我々の生きる現代に強く影響を残している。

 果たして、ニコラ・テスラとは何者なのか。そして、知る人ぞ知る、彼とエジソンにまつわる確執の裏には何があったのか。書籍『知られざる天才 ニコラ・テスラ エジソンが恐れた発明家』(新戸雅章/平凡社)を参考に、辿っていきたい。

 現在、発電所や電化製品で使われる交流(AC)電源は、テスラの発明によるものだ。磁束密度(磁石の強さ)を表す国際単位にその名を刻んでいることからも、テスラの功績は伺い知れる。

 幼少期から神童と呼ばれたテスラは、4年制大学を3年間に繰り上げて卒業できるほどの“努力”と“執念”による天才だった。大学時代には1日わずか4時間の睡眠で、休日も返上して勉強に没頭していたという。

 のちにニューヨークへ渡り、エジソン社で電気技師として働いていたときは、1日18時間以上も仕事へと邁進した。しかし、事件が起きた。

 ある日、蒸気船の故障にヒントを得たテスラは、エジソンに直流発電機の改良計画を提案した。その価値を認めたエジソンから5万ドルのボーナスを約束されたテスラは、ただちに仕事へ取りかかり、数ヶ月後には計画を完遂させた。しかし、ボーナスの支払いを求めたテスラにエジソンは怒りもまじえてこう答えた。

「君はアメリカ流のユーモアが分かっていないようだな」

 エジソンは部下に対してこの手の発言を繰り返していたという。テスラも例外ではなく、つまり、裏切られたのである。心中は察するのみだが、失意の先でテスラは、心身共に捧げるほど師事していたはずのエジソンの元を離れた。

 転機を迎えたのは1888年。大学時代からのめり込んだ交流電源への執念が、アメリカの実業家であるジョージ・ウエスティングハウスに認められたことにある。直流の優位性をかたくなに主張するエジソン陣営との“電流戦争”が勃発したのもちょうどこの頃で、1895年8月、ナイアガラの滝に“ナイアガラ瀑布発電所”が完成するまで熾烈なシェア争いが繰り広げられた。

 その後、テスラは無線技術の研究へ突き進み、1900年代へ入ると“石油資源の枯渇”への危惧から、太陽光や風力、地熱を使った自然エネルギーの必要性も強く訴えかけるようになった。現代から振り返れば先見の明があったといわざるをえないが、晩年は、飛行機を一瞬で打ち落とす“殺人光線”の発案者であるという真偽不明なゴシップに見舞われ、死後には、兵器開発に繋がるテスラの“失われた論文”が、冷戦下で利用されたという陰謀論もひしめく。

 時代がようやく追いついたのか。電気自動車を手がけるテスラモーターズなど、テスラの名前は現代になりようやく求められるようになった。1943年1月7日、ホテルの一室で孤独な死を遂げたというテスラが、今日の社会を見つめるとしたら何を思うのか。もはや想像する以外に方法はない。

文=カネコシュウヘイ