学級崩壊、虐待、ネグレクト…どこにでもある町で暮らす人々が再生する物語『きみはいい子』

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/19

 映画『きみはいい子』が6月27日から公開される。昨年『そこのみにて光輝く』で世界的にも評価された、呉美保監督の最新作だ。

 原作に選ばれたのは『きみはいい子』(中脇初枝/ポプラ社)だ。第28回坪田譲治文学賞、2013年本屋大賞第4位などに輝いた話題作なので、すでに手にとった方も多いかもしれない。

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 この本は5つの短編から構成されている。語り手は章ごとに交代するが、舞台は同じ町だ。ほかの章で登場した人物と、読み進めるうちにすれ違う瞬間が何度もある。山を崩し、谷を埋めたニュータウンというところもポイントだろう。人間関係が基本的に希薄なコミュニティーにおいて、登場人物たちはそれぞれ問題を抱えている。これは決して他人事ではない。映画の予告で「どこにでもある町」とうたわれているように、現代社会において普遍的に問われるテーマだと思う。

 小説自体は非常に読みやすいのだが、読後は複雑な気持ちになる場合も多い。この小説の核となるテーマは「母と子の関係」また「虐待」でもある。家庭、特に親に対して複雑な思いを抱いている場合は注意が必要だ。繊細な描写に引き込まれていくうちに、自分が子どものころのつらかった記憶がフラッシュバックしやすいように感じる。

 作者は子どもをめぐる数々の事件に心を痛め、この小説を書いたという。最もつらいのは子どもたちに違いないが、そんな思いをさせてしまっている大人に寄り添える誰かがいたら、少しずつ世界は幸せになるのではないか、と映画の公式サイトで語る。

 このテーマが特に強調されているのは、2つ目の物語『べっぴんさん』だと感じる。ママたちが集まる公園で波風を立てないように過ごしながら、家では娘に虐待を重ねてしまう「あやねちゃんママ」が主人公である。自分自身が虐待されながら育ち、子どもを生んだこと自体にも絶望している。ふとしたきっかけで子どもに残る虐待の傷跡、そして母親の心の傷に気付き、寄り添うのが「はなちゃんママ」だ。やぼったくていつも笑っている彼女を、主人公はずっと格下に見ていた。どうせ親からたたかれることもなく、のほほんと生きてきたんでしょ、と。けれども実は、「はなちゃんママ」も虐待を受けて育った母親だったのだ。映画では主人公を尾野真千子が、「はなちゃんママ」を池脇千鶴が演じる。

 1つ目の物語『サンタさんの来ない家』では、小学校で学級崩壊を起こしてしまう新任教師が主人公だ。悩み続けた主人公が子どもたちに出す宿題は「家族に抱きしめられてくること」だった。クラスが平和を取り戻していく中で、宿題ができない子どもがひとりだけ残っていた。ネグレクトを受けている痩せた男の子だった。「ぼくがわるい子だから、うちにはサンタさんが来ないんだ」と繰り返す男の子に「悪い子じゃないよ」「いい子だよ」と言い聞かせるうちに、優柔不断だった主人公は変わっていく。映画での教師役は高良健吾だ。

 4つ目の物語は『こんにちは、さようなら』。通学路に面した家で、ひとりぼっちで暮らしている老人が、「こんにちは、さようなら」といつもあいさつしてくれる男の子と交流する物語だ。実は男の子には障害があり、この母親もまた絶望を抱えて暮らしている。「わたし、こんなにいい子はいないと思いますよ」と主張する老人に、母親は救われる。「しあわせ」とは何か、男の子が純粋に言葉にするシーンも印象的だ。老人が戦時中の記憶をたどる独白があるからこそ、ここで語られる「しあわせ」が生きる。原作を読めばいっそう映画が深く味わえるだろう。

 個人的には『そこのみにて光輝く』の壮絶さ、底に差し込んでくる「光」の見事な描写に大きな衝撃を受けた。映画『きみはいい子』も重く、痛々しい作品になることは間違いないだろう。居場所が見つからずにもがき苦しむのは、きっと子どもだけではないのだ。絶望の中から「しあわせ」が見えることで希望が持てるのだろう。現実世界を再生させるヒントも見つけられるかもしれない。心に深く響く物語だ。

文=川澄萌野