盗作、オマージュ、パロディの違いとは? 盗作文学から学ぶ本当の創造性

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/19

 大学生が授業のレポートや卒業論文をネット上からそのままコピペして提出したり、Twitter上で他人の面白ツイートを自分の発言のようにパクツイして発信したり、他人のイラストをトレースしてpixivに投稿したり、なにかと「盗作」が騒動になる時代である。しかし、どこまでが「類似」で、どこからが「盗作」なのだろうか?

 『盗作の言語学 表現のオリジナリティーを考える』(今野真二/集英社)によると人間があるテキストを読んだ時に、「同じと違うがどうやって認識されているか」を言語学的に分析することで、創作物の創造性や独自性がどこに宿るのかが見えてくるという。

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 まず「盗作」とは具体的にどのようなものを示すのだろうか。本書では過去に盗作として決着のついた文章の例をいくつか挙げている。

 頼子は立ち上がると、洋服の胸のボタンをはずし、両腕を細く高く半円形にあげた。その恰好はおどけた影法師になって壁にうつった。身うごきして服を脱ぐと、下着だけになって、細い体をちょっとかがめた。
『針のない時計』

 テンプルはつと立ちあがった。彼女はドレスのボタンをはずし、両腕を細く高く半円形にあげた。その恰好はおどけた影法師になつて壁に映った。ひよいと身動きして服を脱ぐと、下着だけになつてマッチの棒のように細くみえる体を、ちよつとかがめた。
『サンクチュアリ』

 上記の2つの文章は、昭和34年に中央公論社主催の女流新人賞に選ばれながら盗作疑惑で騒がれ当選取消しとなった西村みゆきの『針のない時計』と、その盗作元であると指摘されたアメリカの作家フォークナーの新潮文庫版『サンクチュアリ』の一部である。一見するだけで似ていると感じる文章だが、言語学的にはどのように類似性を見出すのか。

 「ボタン」や「下着」など、同じ単語が使われているからといってそれだけでは盗作とは断定できない。しかし、文章としてまとまったときに、「まったく同じ表現」が「まったく同じ順序」で並ぶことは偶然では考えづらい。また「おどけた影法師」のように普段の言葉では使われることのない特徴のある表現が使われることはさらに稀であるから、そこにはきわめて近い類似性が存在するという。

 本書では続いて盗作騒動でよく取り出される「オマージュ」と「パロディ」についても言及している。

 「hommage(オマージュ)」は、<敬意・尊敬>を表すフランス語である。江戸川乱歩の『黄金仮面』では、名探偵明智小五郎と怪盗ルパンが対決する場面がある。この場合はモーリス・ルブランのルパンシリーズへの「オマージュ」といえる。そもそも江戸川乱歩という名前も小説家エドガー・アラン・ポーからもじった名前である、そこには<敬意・尊敬>がうかがえる。

 一方、「parody(パロディ)」は既存の作品を揶揄、風刺、批判などの目的で作りかえた作品をいう。揶揄、風刺、批判が作品に向けられているとは限らないが、元になっている作品が周知のものであったり、一定の評価を得ていることが前提になるという。

 とくに夏目漱石の『吾輩は猫である』は、パロディと思われる題名の作品が数多く出版されている。

『吾輩は蚕である』(中谷桑実)
『我輩は猿である』(松浦政泰)
『吾輩は鼠である』(よぼ六)
『我輩ハ犬デアル』(山口好恵)
『わが輩は犬である』(林房雄)
『吾輩はらんちゅうである』(大郷房次郎)
『わが輩は盲導犬メアリーである』(小林晃)
『我輩も猫である』(小室白也)など

 『吾輩は猫である』は知名度の高い題名であるから、『わがはいは*である』の*の部分を変化させてもニュアンスで結びつけることができる。このように「オマージュ」も「パロディ」も、受け手がはっきりと引用元がわかることが、「盗作」ではない作品の面白味として感じられるために重要なのだという。

 また筆者は日本ならではの「オマージュ/パロディ」の文化として和歌の「本歌取り」を紹介している。「本歌取り」とは先人の歌の一部を自歌に詠み込む表現技法のことだ。

五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする 『古今和歌集』

橘のにほふあたりのうたた寝は夢も昔の袖の香ぞする 『新古今和歌集』

 前者の『新古今和歌集』の歌は、後者の『古今和歌集』の歌を本歌として詠み込んでいる。「花橘の香をかげば」というやや直接的な表現を、「橘のにほふあたりのうたた寝」と抽象的な表現にすることでより詩的な趣を与えている。『古今和歌集』は当時は一般教養であったから、『新古今和歌集』で詠み込まれても引用元が何であるかは受け手にも理解できたことだろう。

 本書では小説、俳句、和歌など様々な文学作品のテキストを分析・解説しているが、「オマージュ」「パロディ」「本歌取り」の場合は、どれも元となる作品への深い理解と尊敬の念を感じる。さらに引用の仕方についても作者自身の優れた文章センス、表現技法の巧みさがある。たいして「盗作」の場合は元の文章そのままであったり、一部分の単語の並び替えや置き換えに終始していて作者本人の工夫や研鑽が感じられないように思う。

 「originality(オリジナリティ)」とは<独創・創意・独自性>という意味である。「オマージュ」「パロディ」にしても、そこには「模倣」だけに収まらない作家としての努力と発想、あくなき情熱がある。

 本書を参考に文章に宿るオリジナリティを探してみれば、新しい本の楽しみ方が見つかるかもしれない。

文=愛咲優詩