「自分はせいぜい35点」 ロンブー淳の「個」を消し、他者に好かれる立ち回り術とは

芸能

公開日:2015/7/10

「人見知り」や「コミュ障」を自称する人は多い。昨今それが一つの“キャラ”として認められるようになったから、とか、インターネットがコミュニケーション能力の高いいわゆる“リア充”へのカウンター的立ち位置だから、とか、諸説ある。もちろん、実際に「コミュニケーション障害」なわけではない。日常を送るに差し支えない程度のコミュニケーションはできている上での「コミュ障」である。

 筆者もそれで言うところの、「コミュ障」の部類に入る。コミュニケーションが特段上手くもない、むしろ下手だと自認しているのもあるが、どちらかというと「コミュ障」と自称しておくことで、防衛線を張っている面のほうが大きいようにも思う。私が、私の思うままに動きたいがための「コミュ障」宣言。人間関係の煩わしさから逃れたいがための「コミュ障」で「友達が少ないんです」。

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 テレビでこの人を見るたびに、不思議だった。大物相手、若手相手、素人相手、その性別、年齢、話す相手が変わるごとに、話し方ががらりと変わるのだ。ロンドンブーツ1号2号の田村 淳である。相手が飲み込みやすいように内容を噛み砕いていたり、ときには声のトーンまで変えていたり。それがプロの芸人、プロの司会としてのスキル、と言ってしまえば簡単なのだが、それだけでは処理できないような、“場を上手くまわす”ことへの言わば執念のようなものを感じていた。

 ロンブー淳の新刊『35点男の立ち回り術』(日経BP社)を読んで、合点がいった。淳は、他者に好かれたい、その欲求が強すぎるあまり、「個」を消した人なのだ。本書は、淳が自らを「抜きん出た才能があるわけじゃないし、大卒でもない。身長も低い、顔もハンサムじゃない……。どこを取っても、平均点以下だから、50点には遠く及ばず、せいぜい35点くらいかなと……」と評し、その35点の田村淳から“加点”していくために、どう立ち回ってきたかが語られている。その、あらゆる“立ち回り術”を編み出すきっかけになったのが、「一緒にいてつまらない」と女の子にフラれたことだったり、いじめられっ子を助けたことでモテるようになった成功体験だったり、キーとなっているのは徹底して「他者からの好意(及び拒絶)」である。

 立ち回り術を見ていくと、そこに“淳の意志”が存在しないことがよく分かる。「まずは相手に話させる」、「相手に気持ちよく怒ってもらって心を開かせる」。さらに、恋愛面での立ち回り術の項目で、淳ははっきりとこう言っている。「『個』が消えたら女の子に急にモテ始めた」、「口説きたいなら自分を出すな」。淳の意志が存在しない、というより、「相手の意志の通りに進んだうえで、自分に好印象を持ってほしい」=淳の意志、といったほうが近いかもしれない。

 今まで、筆者はあらゆる形で「コミュニケーション」を避けてきた。「人見知りだから」、「一人が好きだから」、「気が合う人とだけ接していられればいいや」。そして、その根本にある動機はいつだって「自分のペースを崩したくないから」だった。言い換えれば、「個」を頑なに消したくない、そう思っていたのだ。「個」を消すことで、淳は究極なまでもの人との円滑なコミュニケーションを手に入れた。そこまでするほど、どうしても人からの好意がほしかった、そんなロンブー淳の執念を1ページ1ページに感じたのだった。

取材・文=朝井麻由美