二次元の彼女に恋をして、三次元の恋は受け付けなかった… 文豪・カフカの自虐に癒される

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/19

朝起きたら、重い身体を引きずって職場に出勤。客に責められ、上司に怒られ、遅い時間に帰宅する。遅い夕食を済ませたら、ベッドに直行。そして翌朝また職場へ向かう。毎日この繰り返しだ。行き帰りの電車の中で人にもまれながら「何のために生きているのか」と自問自答する日々…。

窮屈極まりない毎日に、絶望に似た思いを感じている人は少なくないだろう。これは現代に生きる我々だけではないらしい。小説『変身』などで20世紀を代表する作家、フランツ・カフカも同じだった。

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カフカは写真を見る限り、目が大きく鼻筋が通ったイケメン。やせ形だが長身でオシャレだったらしい。実家は高級小間物を営む金持ちで、保険局に勤める彼の勤務態度は至ってまじめ。物静かで心優しく評判のいい好青年だったとか。そんな彼は、4人の女性と入れ代わり立ち代わり交際しており、実にモテモテだ。フツーに考えたらうらやましいこと限りない。が、本人の心は荒れに荒れまくっていたようだ…。

筋金入りでネガティブな彼は、日々思いついたことを日記やメモに書き留めていた。それには自虐や愚痴が満載。さらに、恋人への手紙にも自分がいかにダメ人間なのかを吐きまくる始末だ。そんなカフカを、イラストレーターの平松昭子さんが『マンガで読む 絶望名人カフカの人生論』(飛鳥新社)でコミカライズ。自分の境遇(一般的にはかなり恵まれていると思うが)がいかに悲劇的なものであるかを嘆くカフカは、シュールな画風と相まってくすりと笑える。その一端をご紹介したい。

「いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです」

一目ぼれをしたフェリーツェという女性と文通を始めたカフカ。貧乏な生活から裸一貫でのし上がったという父親は高圧的で、カフカに自分より出世するようにいつも厳しくあたっていた。作家になりたいカフカは父親の期待に応えられない苦しい胸の内を、手紙でフェリーツェに伝える。「将来に向かって歩くことはできません。将来に向かってつまずくこと、これならうまくできます。いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです」。道のど真ん中で倒れたままのスーツ姿のカフカが哀愁を漂わせる。

「愛する女性とつきあうことの甘美さを、ぼくは手紙のなかでのほかには感じたことがなかった」

つねに恋人がいるのに、結婚するのはおろか、会うことさえ嫌がったらしい。カフカの恋の手段は、手紙。生身の相手と会おうとすると、「手紙のなかの彼女が、現実の彼女として現れることへのほとんど恐怖に近い気持ち」に襲われたという。このため、何年付き合っても数回しか会わなかったとか。つまり、二次元の彼女に恋をして、三次元の現実での恋は受け付けなかったのだ。現代であれば、カフカは立派なアニオタになっていたはず。

「結核はひとつの武器です」

いつもさまざまなことにおびえていたカフカ。自身の健康も同じ。野菜を中心とした食事をとり、間食は一切なし。裸で体操をし、新鮮な空気を取り入れるために雪の日も窓をあけて寝る。趣味はあちこちのサナトリウム(療養所)を訪れること。健康オタク過ぎて逆にビョーキじゃないかと疑わずにはいられない。にもかかわらず、ある日喀血し結核を患ってしまう。ところが、カフカは絶望を感じなかった。病気を理由に、パンを食べるだけにやっていたという仕事を辞め、不安が押し寄せてくるだけの婚約を解消することができるからだ。激しい咳に見舞われながらも、カフカはなぜかこれまでよりも生き生きとした表情で描かれる。

おそらくいずれも本人にとっては非常に深刻な事態であるはずだが、コミカルな画風のおかげでその深刻さが和らげられ、オモシロイことこの上ない。…いや、人のことを笑っている場合じゃない。いつも下を向いて絶望を背負って生きているならば、私もアナタも同じ穴のムジナかも?

文=林らいみ