[カープ小説]鯉心(こいごころ)【第十八話】カープファンの秘密結社

スポーツ

公開日:2015/7/9

カープ小説

◆◆【第十八話】カープファンの秘密結社◆◆

 

advertisement

【あらすじ】
文芸誌『ミケ』のウェブサイトで、カープ女子を題材にした小説を連載することになったフリー編集者の美里。熱狂的カープファンのちさとに出会い、これまでの人生で縁のなかったプロ野球の世界に入り込んで行く。2015年カープと共に戦うアラサー女子たちの未来は果たして…?

6月26日、金曜日。
美里は祖師ケ谷大蔵駅の改札前で、アミを待っていた。

横浜スタジアムで美里がアミに出会ったのが、ちょうど1週間前。あの日の試合後、二人はスタンドで少し話をしてから、LINEのIDを交換して別れた。その後何度かメッセージをやり取りしていたら、アミがカープファンになったキッカケの店が、ここ祖師ケ谷大蔵にあるという。今日はその店に、取材も兼ねて一緒に行ってみることにしたのだ。

1週間前と同様に、この日もパラパラと小雨が降っている。下北沢からの小田急線車内は、帰宅ラッシュでかなり混雑していた。ただでさえ湿度が高い上、久しぶりに満員電車に乗ったせいで体は汗ばんでいる。

「こんばんは!」

背後から突然アミの声がして、美里は少しビクッとした。
そして、目の前に現れたアミの姿を見てさらに驚いた。

この前会ったときにはボブっぽかった髪はバッサリと短くなり、色もかなりアッシュが効いたダークブラックになっている。耳に半分くらいかかった髪の隙間からは相変わらず、シルバーのピアスがチラチラと見える。黒いトップスに赤いギンガムチェックのボンテージパンツ、そして足元は厚底の白いブーツ。この前スタジアムで会ったときのカジュアルな雰囲気とは、まるで別人のようだ。

「な、なんか今日、ロックな感じだね」
美里は少したじろぎながら言うと、アミはニッコリ笑って言った。

「あ、基本こんな感じです」

どういうときが「基本」なのか美里にはよくわからなかったが、この前と変わらない人懐っこい笑顔に少し安心した。

「行きましょう! こっちです」
「あ、は、はい」

アミが早足で歩き出し、美里も慌ててついていく。もう20年以上東京に住んでいるが、祖師ケ谷大蔵の駅で降りたのは今日がはじめてだ。駅前の商店街を少し歩き、途中で曲がって細い路地に入ったところに、その店はあった。

「ここです」

アミが指差した店の看板を見て、美里は戸惑いを隠せなかった。

「愛の楽園 亀山社中 ワンコインBAR(チャージなし)」

う、嘘でしょ…
怪しい、怪しすぎる。
愛の楽園、って… いかがわしい雰囲気しかしないんですけど。
てか、亀山社中って確か、坂本龍馬が日本で最初に作った会社の名前だよね…?

怖じ気付く美里のことはお構いなしに、アミは軽い足取りで階段を上っていく。まるで小さな女の子が、とっておきの秘密基地に案内するかのようだ。美里もアミの後ろをついて階段を上った。

「いらっしゃー… おー、アミちゃん!」

アミが店の扉をあけると、愛想の良さそうな男の声が聞こえた。美里もアミの背後から店に入ると、すぐにカウンターの奥にいるマスターと目が合った。マスターは当然のようにカープのユニフォームを着ている。

「は、はじめまして」
美里が頭を下げて挨拶すると、アミが美里を紹介した。

「美里さんです。この前ハマスタで知り合ったんですよー」
「へー、そうなんだ。はじめまして! あ、そちらどうぞ」

気さくなマスターに促され、美里とアミはカウンター席に横並びで座った。
美里はバッグを膝に置いてから、店内をグルッと見渡した。

8人ほど座れそうなカウンター席と、二人掛けのテーブル席がふたつ。さほど広くはない店内の壁には、隙間なく新聞の切り抜きやポスターなどが貼ってある。もちろん、カープに関連するものばかりだ。店内にふたつあるテレビでは、録画されたカープ戦の中継が映っている。

カープ
 

店中が、カープ一色。
まるで、カープファンの秘密結社だ。

「お姉さんもカープファンじゃろ?」
隣に座っていた男が唐突に、美里の顔を見て言った。

そ、そんな決めつけなくても…
まあでも、この店に来たらそりゃそう思うか…

「あの、私、カープの小説書いてるんです」
「カープの小説?! じゃあお姉さん、小説家ってこと?」
「いや、小説家っていうほどではないんですけど、まあ…」

この質問にも流石に慣れてきた。毎回説明するのも億劫だが、下手に「はい、カープファンです」などと言おうものなら、後々余計に面倒臭いことになりかねない。私はカープの小説を書いている人です、という立場は明確にしておきたいのだ。

「美里さん、飲み物何にします?」
アミが頭上に貼られたメニューを眺めながら、美里にたずねた。

「えっと、私は…」

メニューを見ようと顔を上げた美里は、また驚いた。生ビールが「マエケン」、レモンサワーが「大瀬良」など、メニューもカープの選手名になっている。店の何から何までが、徹底してカープ。ちなみに美里のお気に入り、堂林翔太は「青リンゴサワー」だ。

カープ  

「私は… マエケンにしようかな」
「すみませーん! マエケンふたつお願いします!」

アミは美里の分まで注文すると、バッグからメンソールの煙草を取り出し、ジッポで火をつけた。赤い口紅がよく似合う艶っぽい唇から、フーッと小さく煙を吐く。煙草を持つ右手の中指には、指の付け根から第二関節の辺りまで覆う大ぶりなシルバーリングが光っている。

「最初はたまたま、友達に連れてきてもらったんですよ。カープのお店だって全然知らなかったんですけど、みんなが試合観ながら盛り上がってるの見てたら、私もハマっちゃって」

まるで恋人との馴れ初めを説明するような感じで、アミが言った。もっとも、どうやったらそんな簡単にハマれるのか、美里にはよくわからない。既に盛り上がっている輪の中に自分も入っていくことは、美里がもっとも苦手とすることのひとつだ。

「お待たせしましたー。マエケンでーす」

マスターがそう言いながら、テーブルに生ビールのグラスをふたつ置いた。
美里はアミと乾杯して、まだ泡が浮いたビールをグビッと飲んだ。
久しぶりに飲んだビールの味は、妙に苦く感じられた。

(第十九話につづく)

イラスト=モーセル

[カープ小説]鯉心 公式フェイスブック
【第一話】「ちさとちゃん、何でカープ好きなの?」
【第二話】「か、カープ女子…?」
【第三話】「いざ、広島へ出陣!」
【第四話】「生まれてはじめてプロ野球の試合をちゃんと見た記念日」
【第五話】「カープファンは負け試合の多い人生ですから…」
【第六話】「私も小説書きたかったんだよねえ。若いころ」
【第七話】「私たちカープファンにできること」
【第八話】「好きとか嫌いとか、にじみ出るものだから」
【第九話】「神宮球場で飲むビールは世界一美味しいのかもしれない」
【第十話】「女が生きにくい世の中で、女として生きてるだけ」
【第十一話】「ターン・ザ・クロック・バック」
【第十二話】「カープと遠距離恋愛してるみたいな感じ」
【第十三話】「カープ女子と広島焼きは、似た者同士です」
【第十四話】「毒にも薬にもならない言葉は、誰の心にも残らない」
【第十五話】「カープも私も、仕切り直しだ 」
【第十六話】「私、今日がデビュー戦なんです!」
【第十七話】「美里さんは、誰が好きなんですか?」