電車の混雑がその昔よりもマシになった理由 ――「五方面作戦」が今に残したもの

社会

更新日:2016/11/7

 東京の電車は、とにかく混んでいる。いつどこから電車に乗ったって、“ガラガラ”ということは滅多になくて、ラッシュアワーではない真っ昼間だってのんびり座るなんてことは至難の業だ。10両編成やら15両編成やらのとっても長い列車が次々にホームに滑りこんでくるにもかかわらずこの有り様なのだから、とにもかくにも東京の電車は混んでいるのである。

 だが、こんな状況でも東京の電車、昔と比べればだいぶ空いている。例えば東京オリンピックを4年後に控えた1960年。この頃の中央線の乗車率は約280%。電車の中に無理やり客を押し込む“押し屋”なる駅員は、さぞかし大活躍だったことだろう。というか、この頃の押し屋は相当な力持ちでもなければ務まらなかったに違いない。

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 ところが、今の中央線の乗車率は200%前後。それでも充分ハードな満員電車ぶりなのだが、280%から200%になったというのは大きな進歩と言えるだろう。こうした傾向は、中央線にかぎらず首都圏の多くの鉄道路線で共通している。今でも過激な満員電車だが、昔はもっともっと過激で熾烈でとんでもなかったのだ。

 では、一体何で東京の電車は空いたのか。それは、我が国を悩ませる少子化に原因があった…わけではまったくない。1960年から今に至るまで、首都圏の人口はひたすら増え続けている。にもかかわらず、電車は徐々に空いていく。これには、1960年代に当時の日本国有鉄道(国鉄)が敢行した、一大プロジェクトが関係していたのだ。名づけて、五方面作戦――。

 このなんだか軍靴の音が聞こえてきそうな作戦名。内容は、山手線を中心として、東海道線と横須賀線、中央線、高崎線と東北本線、常磐線、総武本線の五方面について、輸送量を思い切って増強しようというものだった。

 江戸時代から世界最大規模の大都市だった東京(昔は江戸)。けれど、昔はもっと中央に集まって住んでいた。それが、関東大震災や戦災で焼け出された人が郊外に進出し、さらに人口の急増にともなってますます郊外に住む人が増えて、それで中心部に通勤する人で電車が激混みになってしまった。それが中央線乗車率280%の悲劇なのだが、この問題を解決するために編み出されたのが、五方面作戦というものなのだ。

『東京の鉄道ネットワークはこうつくられた』(高松良晴/交通新聞社)には、この五方面作戦の経緯が実に細かく記されている。冒頭で中央線の例を引いたので、ここでも中央線の話をしてみたい。

 1960年代の中央線は、東京から中野までが複々線だった。今と同じように、各駅停車と快速が別の線路を走っていたのだ。混雑を緩和するために、電車の本数を増やすなどのいろいろな策を練った。けれど、走ることのできる線路が限られている以上は限界がある。そこで、中野より西も複々線にすることで、列車本数を思い切り増やそうとしたのだ。さらに同時に、中野から地下鉄東西線と直通運転をすることで、都心部へ向かう乗客を分散させるという手段も採っている。

 かくして中央線は、中野-三鷹間まで複々線になった。計画では立川まで複々線にするはずだったが、それは頓挫している。

 このような複々線化計画が、各地で行われた。東海道・横須賀線ではそれまで同じ線路を走っていた両路線を分離させる“SM分離”を敢行したし、常磐線は複々線化して地下鉄千代田線に直通する各駅停車を走らせた。総武本線も複々線化したし、高崎・東北本線も同じ線路を走っていた京浜東北線に別の線路をあてがった。そして、今に続く東京の鉄道の形が作られたわけだ。

 ただ、複線を複々線化するのには、膨大なお金がかかる。土地を買って資材を買って工事をやって……。1964年、東海道新幹線が開通した年から赤字に転落した国鉄にとって、これはかなりハードな作戦だった。いろいろな意見はあるようだけれど、新幹線に加えてこの五方面作戦も国鉄を衰退させた原因のひとつだと言われている。

 とは言っても、悪いことばかりではない。国鉄がなくなったことの是非をここでは語るつもりはないけれど、少なくとも東京の鉄道が、五方面作戦のおかげでとても便利になったことは間違いない。もちろん、東京以外の地方への投資が滞り、おかげで鉄道網の整備が遅れた…なんていう問題もある。うまくやれば今赤字で苦しんでいる地方のローカル線を浮上させることができたかもしれないのに、それをほったらかして東京に注力したのはまあ、事実だろう。そして、東京ばかりが便利になって、地方の衰退に拍車をかける要因になったのも事実かもしれない。

 今も東京の鉄道は膨張を続けようとしている。今年春に開業した上野東京ラインもそのひとつだし、羽田空港のアクセスを巡ってもいろいろな動きや企みがあるようだ。新橋-横浜間に初めての鉄道が通ってから今年で143年。長い月日の中で膨らみ続けてきた東京の鉄道の歩みを振り返り、今の便利な鉄道網はどのようにして形作られたのかを知る。そして、これからの東京の鉄道はどうあるべきなのか。それを利用者ひとりひとりが考えるために、『東京の鉄道ネットワークはこうつくられた』を読む価値は大きいはずだ。

文=鼠入昌史(Office Ti+)