入れ替わった父とバカ息子が日本を変える!? 池井戸潤『民王』への期待度

文芸・カルチャー

2015/8/5

 『半沢直樹』以来、『株価暴落』や『ルーズヴェルト・ゲーム』をはじめ、池井戸潤氏の作品がドラマ化されないクールってあったんだろうか。ヒット作続きの池井戸作品が今期も2タイトル、ドラマ化されている。そのうちの一作がこの『民王』(文春文庫)だ。政権与党でありながら、失政が祟り、ねじれ国会をまとめる羽目になったが、党首が2人続けて辞任。その跡を継いで首相に就任したばかりの武藤泰山の中身が大学生の息子の翔と入れ替わってしまう。さすがに武藤まで辞任すれば党は終わる。入れ替わったままそれぞれの職務なり学生生活を全うする羽目に――。

 しかし、総理が国会で答弁しようにも、入れ替わったのはシーズンスポーツサークルで遊び回っていたドラ息子。秘書が書いた原稿の漢字が読めず、“ミゾユーの危機”なんて言ってしまう。2人の入れ替わりを知り、尻拭いに奔走する官房長官らの苦労をよそに、翔は失言を連発。さらに、親子を守り続けてくれていた官房長官に愛人スキャンダルが発覚。ワイドショーのリポーターに詰め寄られたとき「それがどうかしたかね」と発言してしまう。いったい政治家としての官房長官をどう評価しているのか、とにかく官房長官は内閣に必要な男なんだと。その本音のこもった失言に心を動かされる者も現れ…。

 一方、息子と入れ替わった総理・泰山は就職活動へと向かう。なにせ授業にも出ないバカ息子、銀行、製薬会社、無農薬野菜販売会社と志望先もばらばら。どこの会社に行っても就活生に対し嫌味な面接官に、泰山は、銀行では貸し渋りを批判して口論になり「赤字の時に公的資金の投入で助けてもらった銀行の人間がいうセリフとは思えませんね」と反論。無農薬野菜販売会社が利益を出すため会社の方針を変え、農薬まみれの野菜を販売しようとしていると聞き「それなら上場しなければよかったのに」と反論する。面接の行方、というより息子の将来はどうなるのか? 入れ替わった身体はもとに戻るのか?

 入れ替わる人格、というテーマでは俳優の負担は一人二役演じるのと同じことになるはずだが、7月24日(金)にスタートしたドラマでは、武藤は遠藤憲一、翔は菅田将暉と、演技力勝負な俳優が揃った。ほかにもヒロインのギリギリの下ネタ発言など、どこまでテレビで放送できるのかというような場面も多数。だからこそ原作をチェックしていただきたいのだが、電車で読むのは要注意だ。だが、そんなドタバタ劇だけで終わらないところが池井戸作品だ。

 人格が入れ替わるのは、80年代の映画『転校生』以降、定番となったアイディアだが、身体と中身が入れ替わるのは、考え方や生活様式など世代間のギャップが浮き彫りになるということ。大学生の目を通して政治家の社会を見せることによって、また、社会から隔絶した政治家を、就職氷河期(原作刊行当時)の大学生の立場に置くことによって、自分の理念を忘れて党利に絡めとられていく政治家や、経済最優先で信念がない企業経営、ドラッグ・ラグなどの政治・社会問題まで描いてみせる。

 もちろん定番の面白さというものもある。「来るぞ、来るぞ」と固唾を飲みながら読み進め、名場面、そして決め台詞で「キターー!!」という快感は、エンターテインメント小説に欠かせない。舞台なら大向こうから「待ってました!」と声が上がるところだ。池井戸作品がこんなにもヒットするのは、武道の達人が型を身に付けるように、表現の型が脳内にインプットされ、それを自由自在に表現しているからではないかと推察する。もはや名人芸に近いものだ。名場面に満ちた『民王』、ぜひ原作をチェックしてほしい。

文=遠藤京子