病気の連続で貯金が底をつく… 本当に自己責任? 下流老人の人生

社会

更新日:2015/8/10

 いつだったか、元総理の小泉さんが「人生には3つの坂がある」なんてことを言っていた。上り坂、下り坂、そして“まさか”だとか。確かに、政治の世界に限らず人生一寸先は闇。何事も順調に計画通り進んでいたと思っていても、ひょんなことからすべてが暗転してしまう…なんてこともままある話だ。

 そして、それは“老後”も同じ。年金制度が崩壊寸前の今、若い頃から老後に備えて貯蓄をしたり投資をしたりしている人は少なくないだろう。数千万に及ぶ貯金を蓄えておけば、「これで老後に何があっても大丈夫」と毎日を安心して過ごせるものだ。

advertisement

 だが、そんな老後計画も、“まさか”の出来事ですべてパーになることもある。ある男性は、定年退職時に退職金とあわせて3000万円の貯蓄があった。それで老後は安泰と思っていたら、二度にわたる心筋梗塞。その治療費などで貯蓄はすっかり消えてなくなり、今では生活保護で暮らしているという。

 また、別のある男性は銀行員として長年勤めてきたが、50代半ばで認知症の症状が出始める。それで職を失い、妻とも離婚して貯蓄はわけもわからないまま散財。12万円程度の年金で暮らす日々になってしまった。

 このどちらの例も、途中までの人生は順風満帆そのもの。それが、“まさか”によって老後設計が大きく狂って“下流老人”の仲間入りをしてしまったというわけだ。

 他にも悲惨な例は枚挙にいとまがない。親の介護で正社員の職を手放し貯蓄も使い果たし、老後になってホームレス。妻から熟年離婚を言い渡されて、金の管理も日々の暮らしもままならずに転落して下流老人化。鬱病で働けない子供を抱えてわずかな年金で家族3人の生活をなんとかやりくり。交通事故の加害者になってしまい、補償金の支払いで貯金がゼロに。

 どれもこれも、極端に言えば“自己責任”という意見もあるかもしれない。心筋梗塞の治療費で数千万円がなくなるなんて、高額医療費制度を知っていればありえないことだし、熟年離婚をされるのは本人の甲斐性の問題だ。けれど、簡単に「自己責任でしょ」と言って突き放してしまうにはあまりにも悲惨な現状がある。彼らとて、30代、40代の頃は幸せな老後を思い描きながら遮二無二働いていたに違いない。何かひとつの歯車が狂っただけで、誰でもこんな老後を過ごすことになる可能性はある。決して他山の石ではないのだ。

 ここまでであげた事例は、いずれも『下流老人 一億総老後崩壊の衝撃』(藤田孝典/朝日新聞出版)に書かれている。この本では、こうした下流老人の問題をそれこそ“自己責任”で終わらせることをせずに社会問題として捉え、社会保障制度の問題点やどうすれば下流老人にならずにすむのか、そして下流老人増加が社会に何をもたらすのかを丁寧に解説している。

 そもそも下流老人とは何なのか。本書によれば、それは「収入」「貯蓄」「頼れる周囲の人間」を持たない高齢者のこと。そしてこうした下流老人の増加は子供世代(若い世代)にストレートに影響を及ぼし、親子共倒れや価値観の崩壊、少子化の加速などの問題をさらに生み出していく。今の日本社会にはさまざまな問題があるけれど、それが凝縮されているもののひとつが“下流老人”ということなのだろう。

 そんな下流老人の問題をつまびらかにするこの本を読んでいると、正直“救いの無さ”に暗澹たる気分になる。誰から見たって将来安泰の人が下流に転落する事例を見せつけられれば、給料が少なく結婚もできず正社員の道すら見えてこないようなワーキングプアな人たちにとっては、「あなたの未来は真っ暗ですよ」と言われているようなものかもしれない。

 もちろん、本の中には将来下流老人にならないようにするためにどうすれば良いのか、その道標も書かれている。それを読んで意識しておけば、それなりに安心することはできそうだ。ただ、それでも「今の日本、どうにもならん」という正直な読後感は拭えない。

 ただ、それでも希望はある。本書にも書かれているけれど、貧しくて日々の糧を得るのにさえ苦労する老後を過ごしていても、それは即悲惨でかわいそうというわけではないということだ。もちろん貧しいながらも幸せな老後を過ごす高齢者はたくさんいる。幸せな下流老人は、みな豊かな人間関係を築いているという。68歳にしてガールフレンドを作って楽しく暮らしたりするなんて、「付き合う男は年収が高くないと」「金持ってる独身老人と結婚すれば遺産が転がり込む」なんていう打算とは無縁の純粋な世界で、なんだか羨ましくすら思えてくる。

 下流老人が増えゆく今、それは“現役世代“の僕ら自身の問題としてしっかりと捉え、下流老人にならないために貯蓄や社会保障への知識を深めるのももちろん大事。けれど、もっと大切なのは、“下流老人になっても笑って老後を過ごせるようにする”ことじゃないかと思うのだ。何しろ、どんなに防御策を講じたところでひとつの“まさか”をきっかけに下流老人になることはあるのだ。だから、そうなっても幸せな老後を過ごせるように、若いうちからちょっとだけ意識をしておく。老後の幸せを支えてくれる“豊かな人間関係”は、下流老人になってもならなくても、決して無駄にはならないのだから。

文=鼠入昌史(Office Ti+)